おしゃべりと対話

 昨日は特別講師を務める大野ピアノメソッドの勉強会がありました.
 
 毎回、参加者の方々には演奏を披露して頂いた後に講師 (スタッフ) と共に作品や演奏のあり方について意見を交わす歓談の場を設けているのですが、昨日はそれがとても和やかに進行できたことが印象的でした.ゆったりとしていながら、なめらかで心地の良い時間‥ 「対話」 という言葉がこれほどしっくりくるのも本当に久しぶりで、参加してくださった皆さんともっといろいろな話をしてみたいと素直に思えました.
 

 考えてもみれば、一方的に何かを言うだけならこれほどラクなことはありません.「おしゃべり」 なんかはその典型.たまに今日は楽しいおしゃべりができたなぁと思えることはあるけれど、おしゃべりは所詮はおしゃべり ― 愚痴を吐こうが正義を語ろうが、みんなただ言うだけの 「言いっぱなし」. ただ言うだけで、言ったそばからどんどん忘れていけばそりゃ楽しいに決まっています.でもおしゃべりって、案外自分がしゃべっている時には一生懸命でも、他人の話になるとさほど親身に聞いていないのではないでしょうか?
 
 そういう意味で 「対話」 は正反対です.もっとも大きく異なるのは自分が話すことよりも他人の話にていねいに耳を傾けている点.耳を傾けるといっても今の自分の価値観に照らし合わせながら聞いているのではありません.何が正しいとか間違っているとか、そういう結論はさておき、目の前にいる相手の言葉の一つ一つをゆっくりと咀嚼しながらその真意を汲みとる ― 本来、他人の話を聞くってそういうことなんだろうけど、時間に追われていたり、心にゆとりがなかったり、他にも条件が揃っていなければなかなかできることではないのかもしれませんね ― いずれにせよ、対話の良いところはお互いにお互いを尊重し、それぞれの想いを共有したり、どうしたらより良くなるかを一緒に考えられることではないかと思います
 

 まぁおしゃべりは何も残らないところがその魅力なのかもしれませんが、対話は逆に相手や自分の心に刻まれていくこともあると思います.そう考えると有意義な対話を重ねていくことには、お互いの感性を刺激したり、人生を豊かにしてくれる可能性がたくさんあるように感じます

 

大野ピアノメソッド勉強会にて@すみだチェリーホール

awamurafumio_20161002

 
 

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6 Comments »

 
  • ちゃま より:

    ☆こんばんは☆

    私は普段ほとんど口をきかない、もしくは思ったことが言えない生活を送っています。
    なぜなら、両親が共働きですれ違いの生活、
    私が面倒を見てあげている子供達は話しが通じない子供ばかりで。

    そのためか?先日のレッスンでは、私が「言いっぱなし」で(川村)先生は無言のままでしたね…このブログを読んで”ハッ”としました。

    (川村)先生に限らず、相手との「対話」を心がけたいと思いました。

  • 早起き鳥 より:

    お久しぶりぶりです。
    仰る対話、私が今の営業職の仕事をする上でさんざん教わった、傾聴、受容、共感だと思います。
    そして、初対面の時から思っていましたが、川村さんはそれが抜群に上手です。ピアノと同じぐらい(笑)

    私事ですが、今夏ひとり引っ越しをし、念願の家にテレビのない生活を送っています。

    秋も深まり、益々忙しくなるのでは⁈
    ご自愛下さいませ。

  • 音の変幻 より:

    音楽で言葉は不要なのか。
    否!と誰もがすぐに答えることかもしれないのですが、お久しぶりに拝読させていただき、そのことを(また)想起してしまいました。

    思えば大学時代心に残っているのは、不思議と心打たれた演奏よりも先生との対話だったのが時を経て何故にも今また胸を打つのは本当に不思議です。
    あの先生の語り口、あの問い返し、あの笑い合い、すべてがなんとかけがえのない嬉しく貴重なものだったか、ピアノ専攻の友人たちや首席で出てと言うヴァイオリン弾きですら、その部屋には集っていたのは、先生の専門や教師像というだけのことではなく、人間的なハートだった気がします。
    今は簡単に何でも調べられる時代になりましたが、だからこそ、対話の鮮度というもの、その無機質でない温かみが却って音楽との対峙に勇気を与えてくれるのかもしれません。

    川村さんの生徒さんたちはそういう対話を思う師に恵まれて幸せ者さんたちですね。
    不思議なことに、偉業を残した(遺した)先生より、そのプロセスで話したあの教師を思い出す人生とは、何か音楽する自分の核心を示しているようにも思います。
    教師自身が思索の人であることは、実はもしかしたら、最高級に大切な音楽・実技教師資格なのかもしれません。川村さんの中にそれを観ています。。。

  • Aya より:

    田園コンサートも終わり、今頃は打ち上げの真っ只中でしょうか・・・☆

    こんばんは。

    とても良い雰囲気の中お話が出来たようですね^^
    川村さんと参加された皆さんとの信頼関係も成り立っていたからこそかもしれませんね。
    素敵です!

    自分の価値観は脇に置き、お相手の話をあたかも自分のことのように受け止め伝え返していく・・・簡単なようですがとても奥が深く難しいことですよね。
    私はこんな仕事をしてますので(こんなってどんな!?笑)、そのことをとてもよく感じます。
    川村さんが書かれているように、色々な条件が揃っていなければ出来ないことでもありますしね☆
    ですので私、仕事が終わると正直疲れてしまうこともたまにあるんです(苦笑)。
    そんな時、何気ないおしゃべりが出来たりすると、なぜかホッとした気持ちになったりもします。
    不思議ですね。
    そうそう、川村さんとのレッスンの時もお話(おしゃべり?)の時間は心が和みます^^

    温かい雰囲気の中相手を思いやりながらの対話も、何気ないおしゃべりも、どちらも大切なものに思える今日この頃です。アヤ

  • ちゃま より:

    よく…「あきらめない」ことと言いますが、、

    私の場合はちょっと違う?のは、
    「あきらめた」のだろうと思います。
    ただ、あきらめたけど、やらないのではなくて、
    やったというか…自分なりに続けたのです。
    あきらめるのと「続ける」「続けない」のは、別なのでしょうかね?

    今があるのは「継続した結果」です。
    今になって(川村)先生の門下生のような方達と一緒に発表したり聴講したりなどできるとは思ってもいませんでしたから。
    継続していて本当によかったと思います。
    そもそも、やめてしまえばプロセスだって途絶えてしまいますしね…。

    あきらめたのに?嬉しいのです!
    不思議です。。

    これからもそうやって少しずつ乗り越えられるのかな?と期待しているオバサンになりました(笑)。

  • kawamurafumio より:

    早起き鳥さん
    ‥そういえば、たまにですが、営業に向いていると言われることがあります.理由は売り込むのに必死にならないからだそうです.とっても微妙だと思うのですが(笑 引っ越しはお疲れ様でした、またお話を聞かせてくださいね.そしてそんな僕は先日おおきなテレビを買ってしまいました.(パソコンはやかましいから)静かにクラシック音楽番組を観たいなぁと思って.でも、NHKの「こころの時代」ばっかり観てしまって、テレビが来る以前よりもものすごく静かになりました.

    音の変幻さん
    音楽との対峙に勇気を与える‥ははぁ、音楽との対峙はそんな生易しいものではないと.確かに、作品と向き合うとか簡単にみんな言ってはいますけど、そもそも作品と対峙する、音楽と向き合うということはその先の人間と向き合うことでもあるわけで.僕もそうですが、やがてそれがどういうことかがわかってくると、音の変幻さんが書かれたように、少なからずそこに「勇気」というものが必要になってくるのだと思います.まぁ僕の方が先生(文字どおり先に生むというだけの意味)だから、何にせよ、学生たちを鼓舞するのが自分の役目だと思っています.それと同時に、時代はどんどん変わってきているので、昔からあるような言い回しをただ繰り返すのではダメだとも思っています.模索し続ける姿勢は変わらないけれども、表現のあり方はもっと柔軟にあらなければと痛感しています.それにしてもこのレスピーギが耳から離れません‥困ったなぁ(笑

    Ayaさん
    広い意味ではお互い対人援助職ですもんね.自分の話になってしまいますが、僕も時どき、移動中だけでなく帰宅しても(家の中なのに)耳栓をしちゃうことがあります.長時間音楽を聴いているから仕方がないのでしょうが、自分でも頭がおかしくなったのかしらと思うくらいにもう徹底して音という音を聞きたくない気分になっちゃうんです.けれど、そんな時でもやっぱり、不思議と、心の和む響きってあるんですよね.まぁ書くまでもないけど「チーン」ってあれです.あれってなんだよって?(笑

    ちゃまさん
    「‥オバサンになりました(笑)。」って(卑屈じゃなく)ちゃんと言える女性ってそういえばあんまりいないような.むしろ晴々としていてなんだかいいなと僕は思うのですが、逆に失礼だったらごめんなさい.

    >あきらめるのと「続ける」「続けない」のは、別なのでしょうかね?
    うーん、あきらめるというのはネガティブなことばかりではないと思いますけどね.それこそ年を取ることみたく自然の摂理ならどうしたってあきらめるしかないわけで.そういうところはむしろ、あきらめが悪くてこじれている大人がいっぱいいると思うんです.多少がんばるのはかわいらしいけど.あきらめるではなく、「手放す」とか、いっそ「受け入れる」って置き換えてみたらどうですかね?