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文集 もぐら 『音楽家からのメッセージ』 より

 春休みのあわただしさもようやく峠を越えたように感じる今日この頃です.皆さんはお変わりありませんか.僕は先週は桐朋学園の門下生たちが初めて自主的に企画した卒業生を送る会、そして今週は大学の卒業式や謝恩会に出席しました.年を重ねたせいもありますが、いずれも人生における節目のようなものを改めて意識する感慨深い催し物でした.
 

 さて、先日発行された桐朋女子高等学校音楽科の文集 『もぐら』 のインタビュー原稿をこちらに掲載させて頂きます.音楽家を志す高校生向けの内容ですが、できるだけ今の僕の素直な気持ちが伝わるように回答したつもりです.尚、このブログへの掲載については許可を頂いていますが、無断転載はご遠慮ください.

 

平成28年度 文集 もぐら 『音楽科からのメッセージ』 より
 

質問①
先生の音楽に影響を与えた故人の音楽科は誰ですか。

 
ピアニストのアルトゥール・ルービンシュタインとディヌ・リパッティです。
 
僕は田舎の、しかもクラシック音楽とは縁のない家で育ったので、子供の頃は今のように音楽家に出会うチャンスもなければ、さまざまな演奏家の音源を聴き比べるようなこともありませんでした。それでも両親は ― 決して必要のないものまで買い与えるような親ではなかったのですが ― 僕が小さいころから音楽が好きだったこともあって、僕がレコードやCDを欲しがると無条件にそれを買ってくれました。けっきょく、その頃に好んで聴いていたのがルービンシュタインとリパッティの音源でした。
 
‥実を言うとそんな過去のことはすっかり忘れてかれこれ20年以上経っていたのですが、少し前に偶然にもこの2人のピアニストのことを思い出す出来事がありました。そしてその時、僕は彼らの演奏から芸術家としての「内的規範」を学んだのだと確かに感じました。もちろん、僕が勝手に影響を受けたというだけの話で、それ以上でもそれ以下でもないことは言うまでもありません。彼らに比べて僕はあまりにお粗末です。けれども、お粗末はお粗末なりに (誰でも) 芸術的な生き方ができると思いますし、そのような理想に生きる人は皆芸術家だと思っています。
 

質問②
舞台に立つ前に具体的にやっていることはありますか。

 
おそらく(回答として)期待されるような儀式めいたものはこれといってありません。強いて言えば本番当日は基本的に演奏が終わるまではあまり食べないことが多いです。コンサートによっては楽屋に魅惑的な差し入れが並ぶこともあるのですが、少なくとも演奏の直前は手を付けないようにしています。
 

質問③今のコンクール制度に疑問を感じている点はありますか。
 
とても難しい質問です。もちろん、コンクールのあり方にまったく疑問を感じないと言えば嘘になります。ただ、ある問題を改善するためにシステムを変えたとしても、参加者も含めそれに関わる人たちの意識や心構えが変わらなければ、また別の問題が出てくるように思います。質問とは関係ありませんが、今の世の中にはそうした問題がうんと増えた気がしますね。
 
一方、昔も今も変わらないのは、なまじコンクールで成功したがために自分を見失う人がいたかと思えば、逆に失敗したことによって思い直し、向上していく人がいるということです。質問の回答にはなりませんが、他の競技と違って音楽コンクールのユニークなところは、「コンクールの結果がすべてではない」ということかもしれません。
 

質問④
現代社会において音楽家の社会的役割はどうあるべきだと思いますか。

 
音楽家と一口に言っても、立場や仕事の内容は人それぞれ異なりますので‥正直なところなんとも言えません。社会的役割についても同じことが言えます。僕には僕の見ている社会があり、皆さんの一人ひとりに、やはり皆さん自身の社会がある ― 僕はそう考えています。
 
ですから、当事者(現代社会に生きる音楽家)として、自分の社会的役割を模索するのであれば、まずは身近な人たちとの関わりを大切にすることです。そして、その関係性の中から自身に課せられた役割を自覚し、精一杯を尽くしていく。そうして試行錯誤しながら、その時その時の自分なりの答えを見つけていくしかないと思います。
 

質問⑤
これからの音楽界を担う若者に期待することはなんですか。

 
皆さんの音楽的才能は本当にすばらしいといつも感心しています。僕自身は(高校生の頃は)もっとちゃらんぽらんでしたから。少なくとも、音楽的には皆さんそのまま邁進していってほしいと思います。その上で、先輩として皆さんに期待するのは、早く 「大人」 になるということです。ここでの大人とは、職を得て、家族を養えるだけのお金を稼ぐ人のことではありません。
 
どんなに厳しい困難に直面しても、愚図ることなく、自己の内面としっかり向き合って、ものの見方や行動を変えていける ― それが本当の大人だと僕は思っています。今の時代は若いというだけでチヤホヤされます。才能があって、条件さえそろえば、早くから注目されることも珍しくないでしょう。しかし、いつまでたっても大人になれない人は、けっきょく才能があるだけの若者で終わってしまいます。僕がそのことに気が付いたのは恥ずかしながら30歳を過ぎてからですが、皆さんが本気で大人になろうと覚悟を決めれば、明日からでも大人になれます。僕はそれを期待しています。
 
終わり

 

近所のブロック塀のカタバミ、こんなに見事に咲いているのは初めて見たのでとても驚きました.
 
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音大進学を希望する人たちにお勧めしたい本

 毎日が飛ぶように過ぎていきます.そんな中、SNSをやめたことも影響しているのでしょうが、いそがしさにかまけてブログの更新を怠るといろいろな方にご心配をおかけするということを知りました.気にかけて頂けるのはとても有り難いことですが、すこし、プレッシャーです、、汗
 
 さて、今月は、公私共にここには書き切れないほどいろいろな出来事がありました.けれどもお蔭様で桐朋学園の入試が無事に終わり、今はホッと胸をなでおろしているところです.
 

 実を言うと、いそがしかったのには他にも理由があります.それはどうしても今、この時期に読んでおかねばならない本があったことです.必要に迫られて‥と書くと些か消極的ですが、この数年、学生の進路相談や音大進学についての質問が増えたこともあって、さすがの僕も勉強しなければ彼らの要望に応えられないと思ったことがきっかけです.
 

 ご存知の方も多いと思いますが、昨年頃だったか、 「音大卒」 は武器になる (大内孝夫 / ヤマハミュージックメディア) という本が話題になりました.正直、この手の本がブームになる現代の世相を僕はどこか素直に喜べずにいるのですが ― そうした複雑な心境からか、当初は自分は読むことはないだろうと思っていました ― そうは言っても、現役の学生や親御さんの中には、相変わらず音楽大学に進学しても音楽家になれかったら意味がないとか、音楽を専門的に学んでもつぶしが効かない‥と本気で思い込んでしまっている方が少なくないのが現状です.ですので、 「仮に音大に進学できたとしても卒業後がねぇ」 と悩んでいらっしゃる方には、まずはこちらを読まれることをお勧めします.
 
 それから、僕と同じように、絶対にプロの演奏家 (音楽家) になる!なれなくても、自分で決めたことだから絶対に後悔しない!と誓って進学を希望する人には 音大進学・就職塾 (茂木大輔 / 音楽之友社) を強くお勧めします.内容的にやや古い感じがするところもありますが、それを差し引いても、一流のオーボエ奏者の虚飾のない直球の文章はピアニストを志す人たちの励みになると思います.
 
 個人的にもっとも感銘深かったのは 音楽とキャリア (久保田慶一 / スタイルノート) 、2018年問題とこれからの音楽教育 (久保田慶一 / ヤマハミュージックメディア ).この2冊は、音楽に関わる全ての人たちにとって必読とも言える内容が満載です.
 
 とりわけ音楽を生業とする人たち、或いはそれを志す人には、音楽とともに生きていくこと、音楽を学ぶ意味‥そうした根源的なテーマが確実に、一生つきまといます. 僕自身、これまで幾度となくそれを自分に問い直してきましたし、その都度、終わりも答えもない無限地獄の中でのたうち回ってきました.
 
 まぁあえて言えば、自分で言うのもなんですが、そうした中で周囲の人やさまざまなものごとと折り合いをつける難しさを痛感し ― ちなみに折り合いをつけるというのは 「妥協」 とは意味が異なります ― もがいたり、揉まれながら人として成長させて頂けているように思います‥
   
 話を戻すと、久保田慶一氏の著書は単に時代の流れに身をゆだねるのではなく、また世間的価値観で選択を迫るのでもなく、リベラルな観点から音楽家(奏者、指導者を含む)や音楽愛好家たちにさまざまなヒントを与えてくれる本だと感じました.
 

 キラキラしたパンフレットやウェブサイトに胸をときめかせることも素敵な事ではあるけれど、間違っても、それだけで音大生活が万事うまく行くと思い上がってはいけません.それは、僕自身、今まさに音楽大学の 「現場」 で生徒を預かっている立場であり、その責任の重みを感じているからこそ、正直に、ここに書いておきます.
 

 このエントリーを読んでいる中高生の方で、これから音大に進学することに何の迷いもない方は是非、音大という刺激的で非日常的な場に飛び込んで欲しいと思います.一方、音大進学に対する漠然とした不安やモヤモヤした感情を払拭できずにいるのであれば、これらの本をとおして自分と音楽との関係、それを社会でどのように生かしていくのかを考えてみるのも悪くはないでしょう.そこから音大進学への新たな希望が見つかれば、それを見守る親御さんもまた安心されるのではないでしょうか.

 

というわけで、音大進学を希望する人たちにお勧めしたい本を紹介させて頂きました.
 
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追記
上記にご紹介した本には、現役の音大生や音大卒業生、さらに彼らに関わりのある周囲の方々にとっても有益な情報が掲載されています.また、音大そのものにネガティブなイメージを抱いている一般の方にも是非とも読んで頂き、良い意味での時代の変化や音大生の底力を知って頂けたら幸いです.

 
 

日々、成長を意識する

 早いもので1月も半ば‥と思っていたら、もうすぐ終わりでした.皆さまお変わりありませんか.僕はすこし疲れが出てきたのか、この一週間は自分の不甲斐なさに落ち込む出来事が3つもありました.けれども、教え子たちの懸命な姿に感心したり、久しぶりに海老彰子さんのリサイタル(豊洲シビックセンターホール)を聴いて幸せな気分に浸ったりと、良いこともたくさんありました.
 

 さて、今年で8回目となるクラスコンサートはお蔭様で無事に終えることができました.今回はクラスコンサート初となるゲスト演奏を設け、チェリストの松波恵子先生と共にチェロの名曲をいくつか演奏させて頂きました.協賛頂きましたカワイ音楽振興会、そして出演を快諾してくださった松波恵子先生に改めて御礼申し上げます.
 

 ところで、僕たちの業界では 「音楽には終わりがない」 とよく言われます.僕もことあるごとに聞かされていたせいか、そうだとすっかりわかった気になっていましたが、それが現実のものとして自分の中で深く感じられるようになったのは実はごく最近のことです.人生には限りがあるのに音楽には終わりがないなんて、それってなんだか途方もないことだし、よくよく考えたらけっこう辛いよなぁ‥と勝手ながら思ってしまうのですが.それはさておき、今は自分の仕事が日々、成長を意識する仕事だとますます強く思えるようになりました.

 

 さて、桐朋学園の大学・高校の卒業試験も終わり、昨日はアンサンブル・ソナーレの皆さんとの初顔合わせでした.この4月にベートーヴェンのピアノ協奏曲 第4番 をご一緒します.アンサンブル・ソナーレはいわゆる社会人オケですが、皆さん朗らかでやさしい音で、初めてなのにどこか懐かしくてとても心地良かったです.映画 「オケ老人」 のモデルにもなったとか‥ちなみにメンバーの中には (僕よりずっと年上にもかかわらず) 桐朋で勉強されている方もいらっしゃって、その情熱やひた向きな姿勢に感服しました.

 

一人の練習は苦しいけど、合わせはとっても楽しかったです.

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 また川村文雄オフィシャルウェブサイトでも本番のご案内をさせて頂きますので、お時間のある方は是非お運びください.

 
 

明けましておめでとうございます

 明けましておめでとうございます、本年もどうぞ宜しくお願い致します.
 
 皆さまはどのようなお正月を迎えられましたか.僕は年越しのコンサートを終え、元旦のうちに東京に戻りました.正直、もう少し実家でゆっくり過ごしたかったのですが‥現実に即して考えるとそうもいかないため、後ろ髪を引かれる思いで東京に戻りました.
 

 さて、大晦日のカウントダウンコンサートはお陰さまで盛況のうちに終わりました.会場である太陽の広場は、笏谷石の元採石場に宿る先人たちの知恵と現代ピアノの最高峰でもあるファツィオリの高い技術力、そして野原さんの清らかなベルカントが一つとなって、とても神秘的な空間に変貌しました ― お客さまだけでなく、主催者やスタッフまでもが皆一様に深く心動かされていた様子が今も脳裏に焼きついて離れません.
 

第一部では創業100年を迎えられた越前石株式会社の福島喜衞さんがご挨拶
第二部でご一緒させて頂いたソプラノの野原広子さんとは今回が初共演です
 
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~コンサートの演目(追記)~
 
・J.S. バッハ / コラール前奏曲 「主よ、われ汝に呼ばわる」BWV 639 ※
・カッチーニ / アマリッリ
・ヘンデル / 樹木の下で
・レスピーギ / 舞踏への誘い
・レオンカヴァルロ / 春
・ラフマニノフ / 前奏曲 嬰ハ短調 op. 3-2 『鐘』※
・山田耕筰 / 鐘が鳴ります
・越谷達之助 / 初恋
・ヴェルディ / オペラ「アイーダ」 より 『勝ちて帰れ』
・マスカーニ / 間奏曲 ※
・プッチーニ / オペラ 「ラ・ボエーム」 より 『私の名はミミ』 
・プッチーニ / オペラ 「ジャンニ・スキッキ」 より 『私のお父さん』
 
※ピアノ・ソロ演奏

 

 コンサートに関わったスタッフの熱い想いと、多くの方々のお力によって、一年の終わりにこのような意義深い経験をさせて頂けたことに心から感謝を申し上げます.
 
 同時に、今、音楽にたずさわる一人の人間として、日頃からより感覚を研ぎ澄まして生きていく必要があると痛切に感じています.こんなありふれた言葉ではかえって陳腐に聞こえてしまうかもしれませんが、これまで以上に時間を大切にして精進を重ねる所存です.
 

 本年も皆さまにとって幸せに満ちた輝かしい一年となりますようお祈り申し上げます.

 
 

洞窟にて2016年を振り返る

 明日のコンサートに合わせて福井入りしました.さっそくソプラノ歌手の野原広子さんとリハーサルをご一緒し、会場の下見をしてきたところです.
 

 先日もご案内させて頂きましたが、年越しコンサートは滅多に公開されない足羽山の洞窟 (石切り場) で行われます.手彫りの洞窟で1000年とも1500年とも言われる歴史ある洞窟内は思ったよりも暖かく、コンサートホールとも教会ともまるで異なる素晴らしい響きでした.
 
 今日は入り口から150メートル付近(会場となる「太陽の広場」がある場所)までしか拝見しませんでしたが、天井から滴る水の音にはまるでタイムスリップしたかのような悠久を感じました.残念ながら明日は当日券の販売がありませんが、あと数時間ほどは受け付けているそうです.

 

明日の朝、こちらにショパンコンクールで使われたファツィオリのフルコンが搬入されます.
 
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 さて、2016年もあと一日となりました.去年の暮れには 「親孝行だけして、残りは体調を整えることを最優先に―」 と書きましたが、今回も概ね同じ心境です.ちなみに今年は昨年以上に仕事が忙しかったものの、そのお陰で(?)これまでの人生でもっともたくさん読書ができました.昔は本を読んでもちっともおもしろくなかったのに、今になって読書にのめり込むとは何とも皮肉です‥
 
 余談ですが、普段は主に思想や哲学の本を中心に読み漁っているため、いわゆる小説は集中力が持続しなくて途中で挫折してしまうのですが、最近読んだ「沈黙」 (遠藤周作) はここ何年かぶりに最後まで読むことができました.
 

 何はともあれ、日ごろから支えてくださっている皆さまのお陰で今年も無事に乗り切る事ができそうです.心より感謝申し上げます.また来年も体調に気をつけながらさまざまなことにチャレンジして参りますので、引き続き応援して頂ければ幸いです.

 

 末筆ながら皆さまが健やかなる新年を迎えられることをお祈り申し上げます.
 
 今年も一年、有り難うございました.

 
 

さかい九頭竜音楽祭を終えて

 さかい九頭竜音楽祭 フィナーレ スペシャルトリオコンサート はお蔭様で無事に終えることができました.共演してくださったクラリネットの豊永美恵さん、チェロの高木慶太さん、そしていらしてくださった皆さまや音楽祭に関わるすべてのスタッフの方々に感謝します.
 
 僕にとって、今回は今年の中でもとりわけタフなスケジュールだったのですが、懸案だった室内楽(ウェーバーの協奏的大二重奏曲、ブラームスのクラリネット三重奏曲)は今の自分にできる精一杯は尽くせたと思います.反対にピアノソロには課題が多く残りましたが、僕なりに真剣に挑んだ結果なので気持ちの面では今は悔いはありません.
 

 ところで、今回のコンサートでは個人的に嬉しかったことがたくさんありました.同世代の素晴らしいソリストと共演させて頂けたことはもちろんですが、聴きに来られた多くの方々が室内楽を好意的に受け止めてくださったこともその一つです.両親も、「クラリネットのイメージ変わったかも!」とか「チェロの響きがよかったわぁ」と言ってくれたので、初めての曲にしてはまんざらでもなかったのだと思いました.というのも、余談かもしれませんが、僕はもともとクラシック音楽とはまったく無縁の家庭で育ったこともあり、当然ながら父も母もクラシック音楽の知識はほとんど持ち合わせておらず ― 逆に今の僕は 「知識」 が邪魔をしてかえってシンプルに愉しむことができないことが多くて困ってしまうのですが ― そうした意味でヘンな先入観や見栄で聴かない両親の感想はある意味で信用できますし、実際にそれが真実であることも少なくないからです.
 

 ちなみにコンサートの打ち上げは福井駅近くの某寿司屋で、僕が大学生の頃からお付き合いさせて頂いているマエストロと夫人も交えて行われました.移動もあったし、ずっと出ずっぱりのコンサートで公演直後はさすがにもうヘトヘトだったのですが、素晴らしいお寿司や日本酒を堪能しました.こちらは老舗中の老舗で、実は後からわかったことですが、父と母はこのお店で初めて出逢ったそうです.今回はほとんどゆっくり過ごすことができなかったので、またコンサートで帰省した折には今度は両親を連れて行こうと思います.

 

さかい九頭竜音楽祭2016 フィナーレ スペシャルトリオコンサート より
豊永美恵さん / クラリネット(写真左)、高木慶太さん / チェロ(同右)
 
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こちらは父の畑のキャベツと2,3年前から実家をちょくちょく来訪する野良猫
生憎この時は両親が本屋の仕事で出払っていたので、猫にはちくわを一本やりました
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庭の話

 お陰様で先週、母が誕生日を迎えました.最近は周りの方々が折にふれ 「ご両親はお元気ですか?」 と尋ねてくださるので ― まぁ半分くらいは会話の沈黙を埋めるための文句にすぎないのかもしれませんが ― その度に親のことを思い出すことができて嬉しいです.誕生日の夜には母親と久しぶりに電話で話しましたが、相変わらず穏やかに過ごしているようで心が和みました.曰く、還暦を過ぎた頃はすっかりくたびれたて気落ちしていたけれど、どういうわけかここへきてちょっと元気になってきたような感じがする‥と.人生わからないもんですね.
 

 さて、夕方までしばらくぶりのお休みだったので、今朝は今年4度目の庭の草むしりをしました.けっきょく今年は野菜らしい野菜を作らなかったため、庭仕事もほとんどせず‥夏にはあらゆる雑草が盛んに生い茂ってジャングルのようになってしまって.そのせいかはわかりませんが、コオロギが例年よりうんと多くなった気がします.ちなみに昨年はバッタとナメクジが急に増え、それに合わせるかのように今年は屋内外のあらゆる場所でヤモリを、また、今朝は、以前に刈った雑草の山の下でダンゴムシと寄り添うように丸くなっているコウガイビルをたくさん見かけました.ちなみにコウガイビルはヒルという名がついていますが、プラナリア?の仲間で血を吸うことはないそうです.おそらく今年から初めてうちの庭に住み着くようになったのですが、ナメクジやミミズを目当てにどこかからかやってきたのだと思います.というか野菜を作らずとも十分にぎやかな庭ですね.
 

コウガイビル(右)、苦手な方はクリックしないでください.
 
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 ところで今年もレモンの実が生りませんでした.苗木を植えてもう丸3年になりますが、木そのものはちょうど倍くらいに成長したものの、まだ花が咲くだけで実はつきません.まぁゆったり待つことにもそれなりの愉しみがあるし、このまま実が採れなくてもそれはそれで良いのかしら?と今は思ったりしていますが、来年の春にはまた(今年こそはと)意気込んで肥料なんか買ってくるに決まっています.
 

ネームプレートがなければなんだかよくわからない‥
 
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 もう一つ、庭の話題.4年ほど前から切っても切っても伸びていく雑草があって、とうとうある時期からは諦めて放置していたのですが、それが気がついたらグングン育って、あれよあれよという間に3メートルを超える立派な木になってしまって、、汗 エアコンの室外機を圧迫して危ないので、今朝方ホームセンターで買ってきたばかりのノコギリで心を鬼にして伐採しました.ノコギリを扱うのは高校生以来だと思いますが、案外すんなりといきました.でも、木にはちゃんと年輪があって、それを見たらちょっと胸が痛みました.しばらく乾燥させた後に、なにか良い使い道がないか考えようと思います.
 

それにしてもこれは一体なんの木でしょうかね.どなたかわかりますか?
 
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こちらは日当たりの悪い反対側の庭にもともと自生しているホトトギス.
越してきた頃はどぎつくて嫌いでしたが、今はだいぶ好きになりました.
 
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以上、庭の話でした.

 
 

ヤマノピアノフェスティバルの総評、その他

 急に涼しくなりましたね.毎年、だんだんと暖かくなる季節には役目を終えたはずのストーブに再び登場してもらうなんてことを2, 3度繰り返してしまうのですが、逆に寒くなっていく時期には雪国根性がはたらいてしまってヘンに出し惜しみしてしまって.一発風邪でもひかない限りはストーブなど出すものか、という不毛なバトルがまた今年も始まった感がします.ただ、いつになく、あっけなくストーブのぬくもりに負けそうな予感もします.なんだか寂しい気もしますが、年を重ねた証ということで‥
 

 さて、先ずは昨日おとといの話から.ご縁で銀座山野楽器ヤマノピアノフェスティバル2016 の審査(曳舟文化センター)をさせて頂きました.これがすごく良かった.正直に言うと、ジャッジをくだすという意味で、僕はいわゆる審査員にはあまり向いていない性格だと自分で思っていて、けれども依頼があるということはそういう審査員がいることにもなにがしかの意味はあるのだろうと勝手にこじつけて頑張っちゃうタイプです.でも、今回は2日間の全部門を通してそうした屁理屈が必要なかった、そこが素晴らしいと思いました.
 
 ‥なんて、すごく自分勝手なことを書いていますが、敢えて具体的な点を一つ挙げるとすれば、出場者の指導をされている先生方の心の広さです.もちろん直接お目にかかったわけではありませんし、僕は先生方のお名前すら存知上げません.けれどもそれは参加している皆さんの演奏を通して十分に感じ取ることができました.まぁ実際にステージで弾く側はそれどころじゃないのでしょうが ― 僕もプレイヤーだからその気持ちも痛いほどわかる ― それにしてもこうした指導者の下で音楽が学べるって幸せなことなんだろうなぁと何度も感慨深く思いました.
 

 ちなみに各部の審査後には参加者の演奏に対する総評をお伝えする時間があるのですが、昨日の最後の部 (中学生部門) でお話させて頂くにあたって、直前に書き留めたメモがあるので、それを基にこちらにもその内容を記しておこうと思います.

 

─ はじめ ─

 皆さん、今日は本当にお疲れさまでした。先ずは、昨日からですが、本当に多種多様な、バラエティに富んだ演奏を聴かせて頂くことができ、ちょっとしたコンサートに来ているかのような有意義な時間を過ごせたことにとても感謝しています。有り難うございました。

 さて、おそらく今回演奏された皆さんはきっと今後も長くピアノを続けていかれる、僕はそう信じています。そのうえで、どのようにピアノと関わっていくのかはもちろん人それぞれだと思いますが、僕のほうから、2つお願いしたいことをお話させて頂きます。
 
 まず1つは、 どうしたらより良い演奏ができるかということをこれからも考えていくということ。 演奏というのは、基本的にコミュニケーションだと僕は思っているんですね。ですので、そこにはかならずそれを受け取る相手がいます。 自分自身が今よりもより良い演奏を心がけていくことで、同時に、音楽というものが相手にも深く伝わっていく。実に単純なことですが、とても大切なことだと思います。 まぁ今の現状に満足することなく、是非、より良くなるにはどうしたらいいかということを考えながらピアノと向き合って欲しい‥ということです。
 
 それから2つめは、自分なりの楽しみ。ピアノと関わっていく中で、そこに自分なりの楽しめる要素を見つけていくということです。やっぱり、長く続けていくためにも、いつもどこか楽しめるものを持っておくことが重要です。それがなくなってしまうと続けるほどにしんどくなってしまうと思います。だから、 その時その時に、何でもいいからピアノや音楽の中に自分なりに楽しめるものを見つけていく努力をしてほしい と思います。
 
 ところで、今日は審査会ということで、そもそも僕は人を評価することが苦手なのですが、そうは言っても受賞者を決めないといけないので点数を点けながら聴かせて頂きました。ただ、誤解をして頂きたくないのは、決して僕は(皆さんの演奏が) 「賞に値するかどうか」 という基準だけで聴いているわけではないということです。もしも僕が 「何ができているか、何ができていないか」 という聴き方をしてしまうと、やっぱり音楽作品そのものの多様性というか、価値も広がっていかない。僕が特に聴きながら注目していることは、そうではなくて、 今、(演奏している)皆さんがその作品に対して何を感じているか、或いは普段からその作品とどう向き合ってここまで勉強を積み上げてこられたのか ということです。実はそれは演奏を通してはっきりと伝わってくるんですね。ですので、先ほど僕は自分なりの楽しみを見つけてくださいってお話しましたけれども、例えばただバリバリ弾くだけとか、楽譜どおりに、ただ書かれていることを守るだけの演奏で満足はしてほしくないんですね。
 
  僕のすごく好きな言葉に 「音楽は鳴り響く音の中にある」 という言葉あります。これはどういうことかというと、もちろん楽譜は大切なんですけれども、楽譜そのものは音楽じゃないんだよという、ある種の戒めが込められたメッセージ。 これ、実はある作曲家が言っていて、僕の知り合いの作曲家にも訊いてみたんですが、皆さん同じ意見なので、たぶん間違っていないと思うのですが、やっぱり、楽譜は楽譜なんです。たとえばそこにf(フォルテ)と書いてあっても、そこに f と書いてあるから 「強く」 弾くんじゃないんです。僕も、普段レッスンをしている中で、余裕がなくなってくるとつい、 「そこ、cresc. って書いてあるでしょ?」 って言ってしまうのですが、それで生徒もはいわかりましたってな感じでcresc. してくれるんですけど、よくよく考えると、これすごくヘンなことで、書いてあるからcresc. するんじゃないんですね。作曲家はそこに何かの理由があってcresc. を書いている。だから、その記号の先にある作曲家の意図や作品の中での意味といったものを考えることなくただ記号を記号として守るだけではやはり十分な魅力が弾きだせない。
 
 ちょっと、例えは変わるのですが、今日はお昼前に少し外出をさせて頂きました。それで外を歩いていたら、すごく涼しくなってきたなぁと感じたんですね。おそらく20度くらい?だったと思うのですが。今、この時期だから、20度というのが僕にとってはかなり涼しいと感じるんですけれども、あと3ヶ月ぐらいしてから日中の気温がもし20度だとしたら、たぶん、あったかいって感じると思うんです。
 
 何を言いたいかというと、20度というのはやっぱり記号でしかなくて。つまり、それを、 何を基準に捉えていくかによって楽譜上のいろいろな記号や音譜の音楽的な意味が変わってくる ということです。ここは、是非、皆さんにも想像して頂きたい。たとえばドミソという和音があったとして、そのドミソはいつも同じドミソとは限らない。何調のドミソなのか、或いはその前後の音の響きをよく耳を澄まして聴いてみることで、もしかしたら、ちょっと思っていたドミソとは異なるニュアンスに感じられるかもしれない。そういったことを 深く掘り下げたり、いろいろに想像しなが作曲家や作品に共感していく。これってやっぱり人間が獲得した本当に素晴らしい感性だと思うんです。
 
 そういった観点から今日演奏された作品を見直していくこともおもしろいと思うし、また、これから逆に演奏を聴く機会にも恵まれると思いますのが、そんな時に 「この人は何を感じたり、この作品とどう向き合っているのだろう?」 というふうに、想像しながら、音楽の楽しみ方を広げていって頂けたら‥と、そんなふうに思います。(新しい感覚を得るために)最初はぎこちなく感じる部分もあるかもしれませんが、どうかまた、いつか今日のこのお話を思い出して頂ければ幸いです。有り難うございました。
 
─ おわり ─

 

 さかのぼって、先々週の金曜日から月曜にかけて、徳島と福岡に行ってきました.ちなみに徳島にはコンサートの前夜からニ泊、その後いったん東京に戻って、翌日の福岡は日帰り.もちろんお仕事だったのですが、まぁどこもかしこもつつがなく移動することができたのでほんとうに便利で有り難い時代だなぁと一人で妙に感動したりしました.ちなみに今回はホームコンサートも含めて3回の演奏と公開レッスン、そしてミニ講座を行いました.いずれもあっという間に終わってしまって、もう少しゆっくりしたかったなぁとつくづく名残惜しかったです.

 

行く度に何とも言えない懐かしさがこみ上げる徳島、両親が来なかったのがとっても残念!
 
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福岡は8年ぶりで今回は日本ピアノ教育連盟九州北部支部の公開レッスンをさせて頂きました.
 
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おしゃべりと対話

 昨日は特別講師を務める大野ピアノメソッドの勉強会がありました.
 
 毎回、参加者の方々には演奏を披露して頂いた後に講師 (スタッフ) と共に作品や演奏のあり方について意見を交わす歓談の場を設けているのですが、昨日はそれがとても和やかに進行できたことが印象的でした.ゆったりとしていながら、なめらかで心地の良い時間‥ 「対話」 という言葉がこれほどしっくりくるのも本当に久しぶりで、参加してくださった皆さんともっといろいろな話をしてみたいと素直に思えました.
 

 考えてもみれば、一方的に何かを言うだけならこれほどラクなことはありません.「おしゃべり」 なんかはその典型.たまに今日は楽しいおしゃべりができたなぁと思えることはあるけれど、おしゃべりは所詮はおしゃべり ― 愚痴を吐こうが正義を語ろうが、みんなただ言うだけの 「言いっぱなし」. ただ言うだけで、言ったそばからどんどん忘れていけばそりゃ楽しいに決まっています.でもおしゃべりって、案外自分がしゃべっている時には一生懸命でも、他人の話になるとさほど親身に聞いていないのではないでしょうか?
 
 そういう意味で 「対話」 は正反対です.もっとも大きく異なるのは自分が話すことよりも他人の話にていねいに耳を傾けている点.耳を傾けるといっても今の自分の価値観に照らし合わせながら聞いているのではありません.何が正しいとか間違っているとか、そういう結論はさておき、目の前にいる相手の言葉の一つ一つをゆっくりと咀嚼しながらその真意を汲みとる ― 本来、他人の話を聞くってそういうことなんだろうけど、時間に追われていたり、心にゆとりがなかったり、他にも条件が揃っていなければなかなかできることではないのかもしれませんね ― いずれにせよ、対話の良いところはお互いにお互いを尊重し、それぞれの想いを共有したり、どうしたらより良くなるかを一緒に考えられることではないかと思います
 

 まぁおしゃべりは何も残らないところがその魅力なのかもしれませんが、対話は逆に相手や自分の心に刻まれていくこともあると思います.そう考えると有意義な対話を重ねていくことには、お互いの感性を刺激したり、人生を豊かにしてくれる可能性がたくさんあるように感じます

 

大野ピアノメソッド勉強会にて@すみだチェリーホール

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那須高原

 桐朋学園大学の後期実技レッスンを再開して2週間余り.学生等はいつもと変わらず無邪気な演奏を聴かせてくれていますが、季節はすっかり秋めいてきました.僕のほうも相変わらずで、まぁそれなりにいそがしくしていますが、涼しくなってきたお陰で体調はまずまずです.
 

 さて、少し日が経ってしまいましたが、先日 (←白寿ホールのコンサートの翌日です) 両親と一緒に那須高原まで足を伸ばしました.下の写真は父親の運転するレンタカーで生まれてはじめて体験したサファリパーク.メスのライオンが追いかけてきた時にはさすがにヒヤっとしましたが、檻や垣根がないせいか、近づいてくる動物たちはみな久しぶりに再会する古い友人のようにも思えて非常に愉快でした.
 
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 そして昼食前には軽い登山.実はこの日の予報は雨だったのですが、ちょうど茶臼岳の麓に着く頃にはお天気になって母親が静かに大喜びしていました.他にも吊り橋を渡ったり道の駅をひやかしたりと思い出に残る一日を過ごしました.
 
 活火山なので牛ヶ首付近はあちこち蒸気が上がっていますが、あたりは石ころと背丈の低い植物が自生するだけでがらんとしています.しばらくそこに佇んでいると自然と心が空っぽになっていく気がしてとても心地よかったです.
 
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 早いもので今年もあと3ヶ月と少しですね.10月からはコンサートや審査が続くので、また心を新たに頑張ります.皆さまもくれぐれもご自愛ください.
 

 追記
 3年ほど続けた twitter を一昨日やめました.こちらは一応のご報告まで.