広島と音楽と平和

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お陰様を持ちまして第32回 日本ピアノ教育連盟主催ピアノオーディション
予選課題曲説明会@エリザベト音楽大学 を無事に終えることができました.
 

こちらの写真はスタッフの先生が撮影してくださいました.
 
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余談かもしれませんが、お世話になった山陽支部の先生方は皆さんとても朗らかで、
良い意味でどこかさっぱりとした印象を受けました.仕事柄さまざまな地域の方と交流
させて頂きますが、同じコミュニケーションを図る中にもその土地ならではの慣習や
作法を垣間見ることがあり、時にそれらは音楽と繋がっているようにも感じます.
 

さて、実をいうと広島に伺ったのは今回が初めてで ─ 以前から興味はあったのですが、
仕事はそもそも選べるものでもありませんし、かといって旅行する余裕もなく ─ 講座の
翌朝はあまり体調が優れなかったこともあってゆっくり帰京することにしたのですが、
計らずも立ち寄った広島平和記念公園と資料館に久しぶりに心を揺さぶられました.
 
 
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音楽を生業としているために余計にそう感じたのかもしれませんが、世の中には言葉で
伝えきれない感動と同じくらいに理屈で消化できない問題があることを痛感しました.
 
平日だったこともあって資料館を訪れる人の約半分が外国の方でしたが、僕も含め
そこに居合わせた人たちのすべてが年齢や性別、国籍を越え、同じ人間として
どうしたら皆が平和にあれるのかということを真剣に考えていたように思います.
 

もっとも平和への道は、何が正しくて何が間違っていると一概に割り切れない問いや
矛盾を含んでいます.まして人々のライフスタイルや趣味嗜好が多様化した現代では、
これまでのような教育や啓蒙の在り方でその尊さを伝えることは容易ではありません.
 
また、似たようなことが音楽にも言えると思います.情報化が加速するこの時代に、
僕たちは音楽の喜びをいかにして分かち合うのか ─ あえて分かち合うと書いたのは
基本的に音楽にはその受け取り手の存在が必要不可欠であると考えているからです ─
考え出すとこんな自分に一体何ができるのかと疑心暗鬼になってしまいそうですが‥
 

何はともあれ、これからも音楽と平和が単なる観念ではなく一人ひとりの肌感覚で
理解され、人から人へと大切に受け継がれていくものであることを心から願っています.

 
 

4件のコメント

  1. ☆こんばんは☆

    戦争と平和。
    平和がいいに決まっていますよね。
    簡単に考えれば、自分がされて嫌なことは、相手も嫌だと思います。
    自分がしたことは自分に返ってくると思います。
    戦争しても結局は解決しないと思います。

    関係ないかもですが、
    亡くなった祖母が私に、
    「長く生きていると分かるけど、人生は平(たいら)ですよ…」と言ったのが、
    印象に残っています。。

  2. あと、

    音楽と平和(それだけではなくとも)が大切に「受け継がれ」っていうのは、
    その通りですね。

    関係ないかもですが、私は昔、学校の授業中”伝言ゲーム”した時、
    次の方に間違ったこと伝えてしまって、、

    それだと困りますよ。
    音楽も”伝言ゲーム”みたいなものなのでしょうか…?

  3. あの、ちょっと言い方がヘタだった気がして…、

    “伝言ゲーム”と表現したのは、
    例えば(ショパン本人)が一番目(スタート)で、
    実際のショパンが曲を通して本当に言いたかったこと表現したかったこと、
    を時空を超えた今、
    例えば○○番の(川村)先生にいかに伝わっているか?
    そしてまた、
    ある生徒さん(○○○番とする)にいかに伝わっているか?みたいな感じ、
    を私は言いたかったのです。
    なんかヘンかもしれませんけれど。。

  4. ちゃまさん
    時代とともに音楽や道徳も変わってくるので、当然 「平和」 のあり方だって変化しますよね.僕は皆が納得できるような答えは簡単には見つからないと思っています.それこそ音楽のように、それぞれがそれぞれのスタンスで心豊かになる(物質的にではなく精神的にという意味です)道を模索し、分かち合い、未来に繋げていくしかない.共存が難しければ併存という形もありだと思います.

    伝言ゲームの話はおもしろかったです.僕は例えばショパンが弾いていたように、あるいはショパンが使っていた楽器の音をただそのまま再現する(もっともそれ自体とても困難なことですが‥)ことが奏者の役割とは思いません.伝言ゲームに置き換えると、話そのものが変わってしまうのはまずいのですが、かといって一字一句間違えちゃいけないわけでもない.

    同じ楽曲でも時代や場所、それらをひっくるめた状況に応じて伝え方や伝わり方が変化していくことは自然なことですし、それでも本質が揺らがない、普遍的な価値を持つものが真の芸術作品として広く長く伝承されていくのだと僕は考えています.

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