モーツァルトとモダンピアノ

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あれよあれよという間に高校・大学の卒業試験が終わり、昨日は東京ガルテンシュタット管弦楽団の第70回定期演奏会に出演させて頂きました.
 
今回演奏したのはモーツァルトのピアノ協奏曲 第25番 ハ長調 K.503 で、どちらかというと国内では取り上げられる機会の少ない作品ですが、個人的にはよくこの作品を選んでくださった ─ 通常ピアノコンチェルトの演目をソリストが決めることはありません ─ と感謝の気持ちでいっぱいです.
 
とはいえ、今回もモダンピアノで古典派を弾くことの難しさを痛感しました.よく 「古典は基本」 と言いますが、僕自身は、現代のピアノで古典派を演奏するのは実はとても難しいことなのではないかと思っています.当然と言えば当然ですが、少なくとも近年のコンサートグランドは古典を弾くために設計されているとは思えませんし、(ハイドンやスカルラッティは別として)ベートーヴェンやシューベルトに至っては、そもそも作曲家の想定していたであろう響きが鍵盤楽器のそれとは思えない作品も珍しくないからです.そうした意味で、僕にとって古典派の作品、とりわけモーツァルトの作品をモダンピアノで表現するということは決して容易なことではありません.
 

もっとも、現代のピアノが以前に比べてパワフルになり、また、音色の変化がつけやすくなったことは歓迎すべきことです.総合的に考えればメリットの方が圧倒的に大きいことは疑いもありません.しかしながら、ことモーツァルトに関しては、僕は楽曲の本来の品格を損ねない素朴な、けれども内的に豊かなニュアンスをつけるために、タッチはもとよりウナコルダやダンパーペダルを細心の注意を払いながら多用するため、(報われるかどうかはさておき)どうしても手間や仕事量が増えてしまいます.個人的にはこうしたアプローチをする目的はいわゆる「ピリオド奏法」のそれに近いと自己正当化を図りたいところですが ─ 誤解のないように捕捉をさせて頂くとピリオド奏法はチェンバロやフォルテピアノの奏法・響きを真似ることや「懐古主義」とは異なります ─ なにゆえこのようなしちめんどくさい思いをしてまでこだわるのかというと、それは単純にモーツァルトの魅力を知ってしまったからなんですね.
 

正直、モーツァルトを弾きながらいつも感じるのは「これは一生かかっても上手く弾けないだろうなぁ」という軽い諦めと脱力感(笑 けれども真面目な話、難しければ難しいほど勉強のしがいがあるのもまた事実です.それに、簡単にできてしまうことはもうあまりおもしろいと感じない‥そんな年齢になってきたのだと思います.
 

何はともあれ、昨日のコンサートでは団員の皆さんが本当に楽しそうに本番で演奏してくださったので僕も嬉しかったです.打ち合わせの段階からたくさんの我がままを聞いてくださった指揮者の末永隆一先生、そしていらしてくださった皆さんにもこの場を借りて御礼申し上げます.どうも有り難うございました.

 

会場の大田区民プラザ大ホールはスッキリした響きでした.
写真にはありませんが控室の昭和の雰囲気にテンションが上がりました.
 
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