引き続きピアノ合宿です.2日目の午後は、ピアノを取り囲むようにして4時間弱ほどグループレッスンを行いました.
グループレッスンでは、それぞれの作品のスタイルや音型に適していると思われる肘や手首の使い方に焦点を絞りました.ペダルを除くと、言うまでもなく、楽器と自分との接点は常に指先にあります.けれども、意識が小手先に片寄っているうちは ─ それでも自身の指の動きに気を配れるだけまだいいほうかもしれませんが ─ いくら練習を積んでもありきたりな音しか出せません.
もっとも、僕自身は、ありきたりな音しか出ないことそのものよりも、ありきたりな音しか出ていないのにそこに注意が及んでいない状態のほうが問題としてはより深刻と考えています.ですから、奏法を知ることはもちろん大切なのですが、それを習得するためには常に自身の耳が研ぎ澄まされていることが必要で、そのことを前提に指導をしているつもりです.しかしながら、狭いレッスン室の中で、しかもマンツーマンのレッスン形態でそれを実感してもらうには正直限界があります.実際、グループレッスンの参加者の感想で 「普段のレッスンで指摘されていたことがようやくわかった」 という意見が少なくなくありませんでした.彼らが今後どのように変化していくのかはまだわかりませんが、少なくとも僕にとってはグループレッスンのメリットを十分に感じ取ることができました.
また、当初は想定していなかったものの、もう一つのグループレッスンの効果として、下記の 「気付き」 がありました.個人的にも改めて深く考えさせられたことですが、それは次の2点です.
1.同じアドヴァイスでも、理解の仕方や受け止め方は人によって異なる
2.理解の仕方や受け止め方が同じでも、実際のアプローチは人によって異なる
文才がないのか、こうして文字に起こしてみると、何かこう今一つ盛り上がりにかける感がしないでもないのですが‥まぁそこは読んでくださる方の想像力に期待したいと思います、、汗
つまるところ、奏者として、或いは指導者として長く成長し続けるためには、「事実を客観的に、正しく理解すること」 が重要なのではないかと.もっとも、音楽で他者に何かを伝えるためにはある種の 「思い入れ」 が不可欠です.けれどもそこに自分よがりなクセが混じってくると、それは 「単なる思い込み」 で終わってしまいます ─ 齢をとると妙に実感するのですが(というか、そんな前置きをしている自分がちょっと切ない‥)、自ら作り上げた固定観念に縛られている時ほどしんどいものはありません ─ 反対に、その思い込みから抜け出し、周囲のさまざまな差異や変化を認めながら自らの考え方や弾き方を改めていくことで、音楽がより奥深く感じられるのではないでしょうか.
早いもので大学も新年度を迎えました.また気持ちを新たに頑張りたいと思います.
滞在中、朝の散歩で別府・鉄輪を一望しました.
2枚目の写真は両親の滞在したホテルの部屋から.
☆こんばんは☆
2点の「気付き」について〜おばちゃまの想像力〜。
?同じアドバイスでも、理解の仕方や受け止め方は人によって異なる。←それでも大丈夫なのでしょうか…いいんですか(失礼)?
?理解の仕方や受け止め方が同じでも、実際のアプローチは人によって異なる。←これは分かる気がします。
また、
理解の仕方や受け止め方が人によって異なるからこそ、実際のアプローチは人によって異なる。
とも言えるのではないかと思って…考えれば考えるほどといった感じで。
そして、自分よがりの「単なる思い込み」では困ります。
「事実を客観的に、正しく理解すること」が重要です。
私自身は、時間が経ってからふり返ることで(←手遅れの場合もあるかもしれません)客観的にみることができたりします。しかし、人生経験は歳を重ねることにより、確かに成長していると感じています。
長く続けることにより、音楽を奥深く感じていきたいと思います(^_^)♪。。
新年度スタート!
おばちゃまさん
考えれば考えるほど‥いいですね.考えるの大好きです(笑
>?同じアドバイスでも、理解の仕方や受け止め方は人によって異なる。←それでも大丈夫なのでしょうか…いいんですか(失礼)?
良し悪しについてはなんとも言えませんねぇ‥でも演奏と同じで、同じ言葉の説明でも人によって伝わり方が違うことはある意味自然なことかなと思います.というか、今回の合宿でそう思えるようになりました.
>理解の仕方や受け止め方が人によって異なるからこそ、実際のアプローチは人によって異なる。とも言えるのではないかと思って…
はい、僕も今までずっとそうだと信じてきました.でも、逆にこの観念(思い込み)に縛られて他の可能性が見えていなかった部分もあったのかな?と思い直すようになりました.
なるほど♪。