音楽家の義務

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 夏真っ盛りです.連日の暑さで体調を崩す方も多いようですが皆さまはお変わりありませんか.
 
 我が家ではこの猛暑の中、どういうわけだか昨年のクリスマスにやってきたシクラメンが咲き始めて思わず目を疑っています.思えば今年は忙しさにかまけて梅や桜、牡丹をちょろちょろっと見たきり‥その後はまったく酷いもんで、ツツジも花椿も紫陽花も、みな知らないうちに見頃が過ぎていました ─ ちなみに今はサルスベリがあちこちに咲いているので日傘下からキョロキョロ覗きながら歩いています ─ そんな日々でしたから、季節外れとはいえ、またシクラメンの花を愉しめるようになったことは僕にとっては小さな幸せです.もっとも不意討ちに強いられることとなった世話を除けば‥ですけどね.
 

 さて、お蔭様で大学の前期授業が無事終講し、7月下旬以降はカワイ横浜店のジョイフルステップアップステージ、桐朋学園大学の夏期講習会、同大学附属子供のための音楽教室のピアノ夏期講習 in 調布、音の夢ピアノコンクール東京予選などに、それぞれアドヴァイザー、講師、審査員として参加させて頂きました.またその合間を縫って、6月末から取りかかっていた日本ピアノ教育連盟の誌上レッスンの原稿を書かせて頂きました.こちらは同連盟が発刊している Klavier Post vol. 126 ( 2016 Summer ) に掲載されていますので宜しければご覧ください.
 
 しかし 「音楽」 と一口に言っても、まぁ色々な仕事があるもんだなぁとあらためて感慨深く思います ─ 僕自身はピアニストとして本格的な音楽人生のスタートを切った人間ですが、今はより多角的な視点から自身のあり方を見つめたり、残りの人生を如何に生きるかを模索しているため、或いは余計にそう感じてしまうのかもしれません.もっともそのようなことを考えるようになったのはここ数年の話ですが、最近は、これは単なるミドルエイジの問題で済まされるものではなく、音楽家が背負ってゆくべき宿命なのかもしれない‥そうも感じられるようになってきました.
 

 奇しくもそんな中、4,5日前のことですが、例によって読書をしている時にふと小澤征爾氏と大江健三郎氏の対談の中の一節が目に留まりました. 「音楽をやる以上、みんなある義務を担わなきゃならないんだけど、その義務をどのように担うか」 、 「音楽をやる者は、絶対に夢を持っていなければならないし、義務感、責任感がなきゃいけない ─ 中略 ─ 音楽をやるにはある基準があって、それを守らなければならない本当に優れた音楽家はみんな (それを) 守っている」 (同じ年にうまれて~音楽、文学が僕らをつくった / 中央文庫) まぁここだけを切り取ってもうまくは伝わらないと思いますが、僕はこの本の中の両氏のやり取りを読んでいて、自分の中で何かがストンと腑に落ちたように感じました.
 
 とりわけ 「義務」 という言葉で音楽家の果たすべき役割を示唆している点が非常に新鮮で、僕などが言うのはおこがましいけれども、それは数百年にわたって西洋のクラシック音楽や演奏芸術が継承されてきたことを考えても納得がいきます.何より自分が生かされているこの難しい時代、21世紀に、音楽家としてのあるべき姿を説くだけでなく、身を削りながらそれを具現しているアーティストがこうして少なからず存在しているということが今の僕にとって感動的で、同時に勇気を貰いました.
 

 ピアニストを目指すことも、ピアニストとして活動していくことも、それはそれでとても意義のあることだと思います.けれども、仮に音楽家という観点から見た場合、今の僕は決してそれだけでは十分ではないように感じています.まだまだ手探りではありますが、これからも一音楽家として少しでも成長できるよう、できることは何でも挑戦していきたい‥そんなふうに思う今日この頃です.

 

摩訶不思議なシクラメン、とりあえず肥料を与えて様子を見ています.

kawamurafumio_20160810

 

3件のコメント

  1. 元気そうでなにより! 日本の夏は暑いと思うけど、身体を大事にの。 カナダの夏は毎日雨。 去年はもっと乾燥していて過ごしやすかったのに、今年は毎日夕立ばっかりです。 

    「音楽をやる者は、絶対に夢を持っていなければならない」 深いのぉ。 僕の仕事もそうやけど、やっぱり夢がないとアカンのやの。 かわとんもこれからますます夢に近づけるように応援してるよ。

  2. シクラメンの花…、、

    亡くなった母方の祖父が歌ってくれる子守唄がいつも、
    布施明さんの「シクラメンのかほり」だったのを思い出しました…おじいちゃんどうしてなの?!
    祖父は田舎町のお医者さんでしたが、
    芸術や文学も愛していて、勤勉でしたし、浦高時代は金田一春彦氏と学級委員をしていたそうです。
    私は祖父が大好きでしたし、少なからず影響を受けて育ったと思います。
    「義務」というと私の周りだと「医師の義務」を果たしている人が身近なのですが、
    私を支えてくれたピアノの先生達を見ていると、
    (大江健三郎氏の息子さんの作曲した曲を弾いたり)「音楽家としての義務」を責任を持って果たしていて、立派だなぁと思っています。夢…大きな夢(目標?)を持つことも大事ですよね。
    そういえば昨日、メイっ子が「夢が叶った!」と喜んでいるので聞いてみたら「スーパー銭湯でお風呂に入った後にそこの食堂でご飯を食べた!」と言ってました。
    「今度はおばちゃんと行こうね!」約束しましたが、その約束が叶うのが今の私のささやかな夢です(^_^)。。

  3. わだじん(駄菓子屋)さん
    ようわからんし一緒にしたら失礼かもしれんけどさ、僕らってある意味で子どもの頃からの「夢」ってもう叶えたが?でもそれでもまだ夢を持ち続けるとか、夢がありますっていうのは、ましてこんな時代にはきっと疎まれるとも思うんや.

    ただ、それでもやっぱり、後進のこととか、他にもいろいろ突き詰めて考えてみるとの、もし本当に夢がなくなってもたら、こら音楽も人生も終わりやわってすごい感じるんやの.まぁそんだけ僕も年取とったんやわ、アッハッハ!
     
     
    ちゃまさん
    「医師の義務」 は (人の命を預かる職業だけに) わかりやすいですね.正直言うと、僕は音楽というのは基本的に好きな人がそれぞれの好きのレヴェルでやっていけば良いとどこかで思っているんです.

    たとえばこれからピアニストになりたい人、或いは職業として音楽と関わっていくことを切望している人がやれ練習がしんどいとか弾きたい曲を弾かせてもらえない、自分のやりたいことと違う‥そんな文句を言っていたら、運よく社会に羽ばたくことができたとしてもはっきり言って誰も相手にしてくれないわけです.

    当たり前のことですが、本当にプロになって活動をするためにはそうした試練や困難を乗り越えられるくらいに好きじゃないと務まらないし、時には他のことをぜんぶ投げ打ってでも音楽を愛せないと続かないんですよ.

    だからこそ、「義務」 という言葉でもって音楽家としてのあるべき姿勢を説かれたことが僕にとってはとても新鮮というか、ちょっと目からウロコだったのだと思います.なるほどそういう考え方があったのかぁって.

    でも、念のために書くと、僕はプロとアマチュアで優劣をつけることはしません.職業にこそされていないけれど、僕の教え子や趣味で音楽を続けている社会人の中には「音楽家」として尊敬できる人はたくさんいますからね.

    ちゃまさんも、ご自身の音楽やそれ以外の夢を叶えられるように頑張ってくださいね(^_^

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