ヤマノピアノフェスティバルの総評、その他

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 急に涼しくなりましたね.毎年、だんだんと暖かくなる季節には役目を終えたはずのストーブに再び登場してもらうなんてことを2, 3度繰り返してしまうのですが、逆に寒くなっていく時期には雪国根性がはたらいてしまってヘンに出し惜しみしてしまって.一発風邪でもひかない限りはストーブなど出すものか、という不毛なバトルがまた今年も始まった感がします.ただ、いつになく、あっけなくストーブのぬくもりに負けそうな予感もします.なんだか寂しい気もしますが、年を重ねた証ということで‥
 

 さて、先ずは昨日おとといの話から.ご縁で銀座山野楽器ヤマノピアノフェスティバル2016 の審査(曳舟文化センター)をさせて頂きました.これがすごく良かった.正直に言うと、ジャッジをくだすという意味で、僕はいわゆる審査員にはあまり向いていない性格だと自分で思っていて、けれども依頼があるということはそういう審査員がいることにもなにがしかの意味はあるのだろうと勝手にこじつけて頑張っちゃうタイプです.でも、今回は2日間の全部門を通してそうした屁理屈が必要なかった、そこが素晴らしいと思いました.
 
 ‥なんて、すごく自分勝手なことを書いていますが、敢えて具体的な点を一つ挙げるとすれば、出場者の指導をされている先生方の心の広さです.もちろん直接お目にかかったわけではありませんし、僕は先生方のお名前すら存知上げません.けれどもそれは参加している皆さんの演奏を通して十分に感じ取ることができました.まぁ実際にステージで弾く側はそれどころじゃないのでしょうが ― 僕もプレイヤーだからその気持ちも痛いほどわかる ― それにしてもこうした指導者の下で音楽が学べるって幸せなことなんだろうなぁと何度も感慨深く思いました.
 

 ちなみに各部の審査後には参加者の演奏に対する総評をお伝えする時間があるのですが、昨日の最後の部 (中学生部門) でお話させて頂くにあたって、直前に書き留めたメモがあるので、それを基にこちらにもその内容を記しておこうと思います.

 

─ はじめ ─

 皆さん、今日は本当にお疲れさまでした。先ずは、昨日からですが、本当に多種多様な、バラエティに富んだ演奏を聴かせて頂くことができ、ちょっとしたコンサートに来ているかのような有意義な時間を過ごせたことにとても感謝しています。有り難うございました。

 さて、おそらく今回演奏された皆さんはきっと今後も長くピアノを続けていかれる、僕はそう信じています。そのうえで、どのようにピアノと関わっていくのかはもちろん人それぞれだと思いますが、僕のほうから、2つお願いしたいことをお話させて頂きます。
 
 まず1つは、 どうしたらより良い演奏ができるかということをこれからも考えていくということ。 演奏というのは、基本的にコミュニケーションだと僕は思っているんですね。ですので、そこにはかならずそれを受け取る相手がいます。 自分自身が今よりもより良い演奏を心がけていくことで、同時に、音楽というものが相手にも深く伝わっていく。実に単純なことですが、とても大切なことだと思います。 まぁ今の現状に満足することなく、是非、より良くなるにはどうしたらいいかということを考えながらピアノと向き合って欲しい‥ということです。
 
 それから2つめは、自分なりの楽しみ。ピアノと関わっていく中で、そこに自分なりの楽しめる要素を見つけていくということです。やっぱり、長く続けていくためにも、いつもどこか楽しめるものを持っておくことが重要です。それがなくなってしまうと続けるほどにしんどくなってしまうと思います。だから、 その時その時に、何でもいいからピアノや音楽の中に自分なりに楽しめるものを見つけていく努力をしてほしい と思います。
 
 ところで、今日は審査会ということで、そもそも僕は人を評価することが苦手なのですが、そうは言っても受賞者を決めないといけないので点数を点けながら聴かせて頂きました。ただ、誤解をして頂きたくないのは、決して僕は(皆さんの演奏が) 「賞に値するかどうか」 という基準だけで聴いているわけではないということです。もしも僕が 「何ができているか、何ができていないか」 という聴き方をしてしまうと、やっぱり音楽作品そのものの多様性というか、価値も広がっていかない。僕が特に聴きながら注目していることは、そうではなくて、 今、(演奏している)皆さんがその作品に対して何を感じているか、或いは普段からその作品とどう向き合ってここまで勉強を積み上げてこられたのか ということです。実はそれは演奏を通してはっきりと伝わってくるんですね。ですので、先ほど僕は自分なりの楽しみを見つけてくださいってお話しましたけれども、例えばただバリバリ弾くだけとか、楽譜どおりに、ただ書かれていることを守るだけの演奏で満足はしてほしくないんですね。
 
  僕のすごく好きな言葉に 「音楽は鳴り響く音の中にある」 という言葉あります。これはどういうことかというと、もちろん楽譜は大切なんですけれども、楽譜そのものは音楽じゃないんだよという、ある種の戒めが込められたメッセージ。 これ、実はある作曲家が言っていて、僕の知り合いの作曲家にも訊いてみたんですが、皆さん同じ意見なので、たぶん間違っていないと思うのですが、やっぱり、楽譜は楽譜なんです。たとえばそこにf(フォルテ)と書いてあっても、そこに f と書いてあるから 「強く」 弾くんじゃないんです。僕も、普段レッスンをしている中で、余裕がなくなってくるとつい、 「そこ、cresc. って書いてあるでしょ?」 って言ってしまうのですが、それで生徒もはいわかりましたってな感じでcresc. してくれるんですけど、よくよく考えると、これすごくヘンなことで、書いてあるからcresc. するんじゃないんですね。作曲家はそこに何かの理由があってcresc. を書いている。だから、その記号の先にある作曲家の意図や作品の中での意味といったものを考えることなくただ記号を記号として守るだけではやはり十分な魅力が弾きだせない。
 
 ちょっと、例えは変わるのですが、今日はお昼前に少し外出をさせて頂きました。それで外を歩いていたら、すごく涼しくなってきたなぁと感じたんですね。おそらく20度くらい?だったと思うのですが。今、この時期だから、20度というのが僕にとってはかなり涼しいと感じるんですけれども、あと3ヶ月ぐらいしてから日中の気温がもし20度だとしたら、たぶん、あったかいって感じると思うんです。
 
 何を言いたいかというと、20度というのはやっぱり記号でしかなくて。つまり、それを、 何を基準に捉えていくかによって楽譜上のいろいろな記号や音譜の音楽的な意味が変わってくる ということです。ここは、是非、皆さんにも想像して頂きたい。たとえばドミソという和音があったとして、そのドミソはいつも同じドミソとは限らない。何調のドミソなのか、或いはその前後の音の響きをよく耳を澄まして聴いてみることで、もしかしたら、ちょっと思っていたドミソとは異なるニュアンスに感じられるかもしれない。そういったことを 深く掘り下げたり、いろいろに想像しなが作曲家や作品に共感していく。これってやっぱり人間が獲得した本当に素晴らしい感性だと思うんです。
 
 そういった観点から今日演奏された作品を見直していくこともおもしろいと思うし、また、これから逆に演奏を聴く機会にも恵まれると思いますのが、そんな時に 「この人は何を感じたり、この作品とどう向き合っているのだろう?」 というふうに、想像しながら、音楽の楽しみ方を広げていって頂けたら‥と、そんなふうに思います。(新しい感覚を得るために)最初はぎこちなく感じる部分もあるかもしれませんが、どうかまた、いつか今日のこのお話を思い出して頂ければ幸いです。有り難うございました。
 
─ おわり ─

 

 さかのぼって、先々週の金曜日から月曜にかけて、徳島と福岡に行ってきました.ちなみに徳島にはコンサートの前夜からニ泊、その後いったん東京に戻って、翌日の福岡は日帰り.もちろんお仕事だったのですが、まぁどこもかしこもつつがなく移動することができたのでほんとうに便利で有り難い時代だなぁと一人で妙に感動したりしました.ちなみに今回はホームコンサートも含めて3回の演奏と公開レッスン、そしてミニ講座を行いました.いずれもあっという間に終わってしまって、もう少しゆっくりしたかったなぁとつくづく名残惜しかったです.

 

行く度に何とも言えない懐かしさがこみ上げる徳島、両親が来なかったのがとっても残念!
 
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福岡は8年ぶりで今回は日本ピアノ教育連盟九州北部支部の公開レッスンをさせて頂きました.
 
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2件のコメント

  1. こんにちは♪

    今日はこの前の土曜日出勤の振休でお休みなのでこのような時間帯でのコメントです☆

    「チーン」って分かりますよ!あれですね、あれ「ケ・イ・ス」。
    ・・・って、それじゃドリフのコントになっちゃいますね^^(あはは)。

    季節も秋らしく涼しくなってきたな~と思ったら25度を超えて職場ではクーラーが入ったり。この季節着るものに本当に困ってしまいます(苦笑)。

    先日は審査会お疲れさまでした!
    どうしてフォルテなのか、どうしてここでクレッシェンドするのか。
    そこには作曲家の意図や作品の中での意味がある・・・。
    改めて「ハッ」と気付かされた言葉です。
    そうなんですよね、ちゃんと意味があるんですよね。私はそのあたりをあまり意識せず普段弾いているなぁと感じました。
    どうしてここはフォルテなのか、自分なりに解釈して(見立てて)レッスンで弾いた時、先生の解釈と自分が見立てた解釈に違いがあることもあるわけですよね☆
    その違いやどうしてそういう解釈に至ったのかを確かめ深めることがレッスンでの醍醐味の1つなのかしら・・・?とも思いました。
    独学だと独りよがりになってしまう部分もありますので、レッスンを受ける大切さも感じます。
    今後ピアノを弾き続けるにあたって、また楽しく勉強できる術を見付けた気がして嬉しく思いました。アヤ

  2. Ayaさん
    ケイスときたか、、笑 そうそう、フォルテ(f)のようにありふれた記号ほど分かりづらいんですよ.フォルティッシッシモ(fff)なんて、記号的にみたらかなり暴力的だけど、本で言えばいわゆる読解力いうとか、文脈や行間のようなものが読めないとそれがどの類のものかは判別できません.それに実際の響きを味わってみて初めてわかることも少なくありませんし.もちろん例外的な作品はありますが‥いずれにせよテキスト(楽譜)を頭で理解しただけでは「音楽」にはならないんですね.

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