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随想(4)プラハ ― 音楽との関わり方

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 おかげさまで、昨夜遅く無事に帰国することができました.プラハを経つ直前に思いがけず風邪をこじらせましたが、怪我の功名で、今のところ時差ボケはなさそうです.
 

 さて、プラハの思い出は書ききれないほどたくさんありますが、もっとも大きな収穫はと聞かれれば、真っ先に良き理解者との出逢いを挙げたいと思います.
 
 呑み友、もとい旧知の友人とはちがった意味で一つ話せば十を理解される安堵感 ― 交わした話のテーマは多岐にわたりますが、思想の根っ子が似ていることも相俟って心強く感じられました.短い時間ではありましたが、対話を重ねる中で再認識したこともあり、備忘録として以下に書き記そうと思います.
 

 自身の気持ちに素直に書くと、僕は音楽を学ぶことによって世俗的な幸福を手に入れること、卑近な例で言えば「集中力がつく」、「頭がよくなる」、「コミュニケーション力がアップする」といった実利を求める価値観には積極的に賛同しません.それらはあくまで副次的なものにすぎないからです.そのような「取引」をしたいのであれば、もっと効率の良いものがあるのではないかとさえ思っています.
 
 残念なことに、音楽教育に携わるようになってこの10年余り、音楽をすることが(目的ではなく)別の何かを得るための手段と化してゆく流れはますます加速しているようです.このまま進めば音楽を学ぶために本来的に必要な時間や費用は社会的成功(実績や経済的報酬)を回収するための「投資」となり、結果的に音楽難民(※)を増やしてしまうのではないかと危惧しています.

 ※自身の中にある音楽を見つけられないまま彷徨ってしまうという意味の造語
 

 もっとも音楽との関わり方に唯一の正解はありませんし、どんなに続けても自身が満足できるような答えは最後までつからないかもしれません.でもまさにそのことが僕の中で音楽を学ぶことのモチベーションとなっていることも事実です.そこには、未知なるものへの好奇心だけでなく、形はどうあれ音楽に関わる者として音楽そのものに満たされる歓びをいつまでも失わずにいたいという想いがあるからです.

 今でこそ若い頃のような「何者かにならなければ」という焦りこそありませんが、これからも一層ものごとの機微をきめ細かく観察しつつ、音楽と共に歩んでいけたらと思います.
 

 言葉で言い尽くせないほどの有意義な時間を与えてくれたプラハの日々、スタッフ・受講生の皆さん、そして良き出逢いに心から感謝しています.有り難うございました.

 

ほぼ毎日通ったトラムの駅前、スターバックスもありました.

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旧市街の広場の一角を上から見下ろした写真

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3件のコメント

  1. 川村さん、お帰りなさい♪

    長旅お疲れさまでした!
    もう東京ですから「こちらは今、夜の7時台です」とか書かなくても大丈夫ですね(笑)。
    時差ボケも無いようで良かったです。

    お風邪をこじらせたとのこと、調子はいかがですか?

    プラハでも沢山の思い出が出来たご様子ですね。
    その中で人との出会いも貴重でしたね。
    自分の考えや気持ちをありのまま受け止めてくれて共感してくれる人、「自分も同じ考えや気持ちですよ」と理解を示してくれる人、そんな人の出会いって人生の中でそうそうあるわけではないと思うので、とても素晴らしいことだと思います。

    過去のエントリーも改めて読ませて頂きました。
    川村さんはしっかりとした考えを持っていて、そして、「音楽家になった」のではなく「音楽家として生きている」のだなぁと、これも改めて思いました^^
    とても尊敬します。
    これからもそんな川村さんでいてください。アヤ

  2. ご無沙汰しております!
    プラハいつか行ってみたい街です!

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