リサイタルを終えて

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最近つくづく思うのですが、「一日」 は朝から夜までやるべきことがたくさんあって
とても長く感じるのに、「一週間」 はどういうわけかあっという間に過ぎてしまう‥
昔はそんなふうに感じたことがあまりなかったのでやや戸惑ってしまいます.
 

というわけで、ようやくコンサートを振り返る時間ができました.
 
先のリサイタル@パレア若狭にいらしてくださった皆さま本当に有り難うございました.
また、今回もミュージックフレンズのスタッフの方々をはじめ、多くの関係者の
ご協力を頂き、コンサートを終えることができました.改めて心より感謝申し上げます.
 

さて、私事になりますが、20代の終わりから本格的な教育活動を始めて早7年 ─
この間にはさまざまな出来事がありましたが、10代から20代にかけての
それと比べると、さほどドラマティックなものではなかったようにも思います.
 
しかしながら、いろいろな意味で 「音楽観」 は一変しました.
中でもとりわけ2つの点において、明確な変化が起きたことを実感しています.
 

1つは作品そのものをさまざまな角度から捉えたり、俯瞰するようになったこと.
それは、当然ながら、演奏にも少なからず影響を及ぼしていると思います.
 
今から思えば私は10〜20代は、音楽の内容を深く感じ取ることよりも
ピアノをいかに上手く弾きこなすかということに意気込んでいました.
それは決して多くはない過去の演奏の記録からも明らかです.
 
ちなみに私は自分の演奏を録ることやそれを聴くことには興味がありません.
いや、厳密には興味はあるのですが、いかなる文明の利器を以てしても、
「幾ばくも無いうちに自身の演奏を客観的に聴く」 ということが私には
どうしてもできないからです.けれども5年、10年と月日が経つと、
「あの頃はこんな風に感じていたのかしら‥」 と思うことはあります.
 
話を戻しますが、無論、技術的・精神的な基礎や土台がしっかり構築されていなければ、
作品を多角的に見ることがかえって演奏の方向性や具体性を損ねてしまうことも
起こり得ます.ただ、まっとうな鍛練を重ねていく中で、音楽に対する自身の
寛容性・柔軟性を意識的に認めることができなければ、真の意味での演奏の
愉しみや奥深さを知ることも難しくなるだろうと考えるようになりました.
 
誤解のないように書きますが、もちろんこれらは少なくとも一生をかけて
音楽の道を真剣に志していくことが前提での話であって一般論ではありません.
 

そして2つ目は、「自分」 から 「他者」 へと音楽をする目的がシフトしてきたことです.
まだ完全に言い切れるほどではありませんが、日々よく感じるのは、音楽家としての
自身の務めです.それは 「人」 があってこそで、聴衆がいて、教え子がいて、
家族や理解者がいて‥もしかすると、すでに亡くなっている作曲家や
かつて私とかかわりのあった人たちもそこに含まれているかもしれません.
 

もっとも、自分という軸がなければ他者まで気が回らないというのも
また真実ではありますが、仮に音楽以外のことであっても、自身が生きてきて
培った何かを他者へ還元できるということは人としての大きな歓びに違いありません.

 
あぁ、もう本当に、いよいよ大人びてきたなと感じます、、苦笑

 
 
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6件のコメント

  1. こんばんは、お久しぶりです。
    おぼえておいででしょうか・・・。
    歳を取るということの意味深さ、理由なるもの、その素晴らしさを感じさせる文章でした。
    川村さんはやはりとても素敵な方ですね。
    ぜひ演奏を聴きたいと思います。
    ありがとうございます。

  2. 私は一日が24時間でなく 30時間くらいあればいいのにって思います。
    特に最近は暗くなるのが本当に早くて「もう 夜?」っていう感じです。
    それは 若い時には何でもやることがスピーディーだったのに
    加齢と共に スローになったからだと思います。
    でも、テンポが遅くなった分だけ、今まで見えなかったものが見えてきたり
    新しい発見があったり・・立ち止まったら、誰かが手を差し伸べて下さったり
    まわれ右して元に戻ったら、ちゃんと待っていて下さった方がいたりして・・
    スローライフも捨てたものではないですね・・
    川村さんの「音楽」も加齢と共に 益々深く磨きがかかり、
    磨けばみがくほど 水晶玉の様になっていくと思います。
    「音は人なり」と申します。
    今後のご活躍 期待しております。

  3. おつかれさまだわね。
    アタシもだわ~。やれ会議だ何だの1日バタバタしてるのに、一週間はアッという間だわ。
    それに、この前年越ししたと思ったら、もう年末だわヨ。
    いよいよアタシもババアなのかしらね。

    そう言えば、今年はひたすら秋刀魚食べてた気がするわ。
    最近行ってないし、そろそろ呑みに行きたいもんだわね。

  4. 昨日は思いついてドビュッシーの可愛いらしい生家を
    訪ねてみました。直筆の精緻で美しい楽譜を見ながら
    ふと川村先生のImages Ⅱ の素晴らしい演奏が浮かんて来ました。
    またいつかリサイタルでドビュッシーの作品を聴く機会を
    得られたら嬉しいです!

  5. こんにちは♪

    本当に、時が経つのって早いですよね。
    私などはここ数年1年が本当にあっという間で、気が付けば「もう紅白!?」みたいな・・・(苦笑)。

    パレア若狭でのリサイタル、お疲れさまでした!
    自分以外の様々な方々に感謝の気持ちを表している川村さんのお姿がとても清々しく感じます。見習わないといけませんね^^
    音楽観も変わってきたとのこと。
    様々な角度から捉えたり俯瞰するようになったのは視野が広がった証拠でしょうか☆
    自分中心からお相手中心に捉えられるようになったことも今後の音楽活動において重要な要素の1つになりそうですね!

    お写真の手のひらの貝殻、小さくて可愛らしいです♪
    コルクの蓋がついた小瓶に入れて窓辺に飾っておきたい気分^^アヤ

  6. yoshiさん
    もちろん覚えていますよ、yoshiさんの写真も時々拝見しています.僕は今年は地元のコンサートでメンデルスゾーンという作曲家の小品を久しぶり演奏しましたが、恐るべきことにその作品を勉強し始めてから25年経ってようやくおもしろさがわかってきたような気がしました.その時のコンディションもあったのかもしれませんが、やはり年を重ねていくことで感じ方が変化したのだと思います.yoshiさんのお蕎麦を頂ける日を楽しみにしています.

    M.Sさん
    確かに大人になると若い時に比べていろいろな意味で余裕がなくなるのは事実です.勝手なもので学生たちをみているとお気楽でいいなぁと思うこともあったり‥でも冷静に考えるとかつての自分もその頃はそれなりにいっぱいいっぱいだったような気もしますし、単なるないものねだりなのかもしれませんね(^_^; それにしても演奏や教育を通してこれまで見えていなかったものが見えてくるのは本当におもしろいなぁとつくづく感じます.

    bombomさん
    いよいよババアって、まるで今まではそうじゃなかったみたいな書き方じゃない?笑 いいじゃない、ジジイやババアだって僕はちっとも恥ずかしいことじゃないと思うよ.年内にはアーカイブの打ち合わせをしたいのでよろしく.牛タンが食べたいみたいだから、気が変わらないうちにね.

    マーライオンさん
    思いついてドビュッシーの生家に行かれる・・さすがです.私の中ではマーライオンさんは世界中を飛び回ってらっしゃるイメージですが、時差にはお強いのでしょうか?ドビュッシーはもしかすると来年8月に福井にてデュオの作品を演奏させて頂くかもしれません、そうでなくても(もともと大好きな作曲家なので)ソロでも時々取り上げていきたいと思います.またご予定が合うようでしたらぜひいらしてください.

    Ayaさん
    紅白お好きなんですか?僕は断然つぶあん派です、ってそっちの紅白じゃありませんよね(-_- 貝殻は持って帰りました、落ちているものを拾って帰る習性は昔から変わっていないようです、、笑

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