今夏も日傘がマストになりました ― 気持ちだけはサヤドー(ミャンマーの僧侶)のつもりですが、見た目も中身も違いすぎるので、あんなノーブルな雰囲気を醸すことはできません汗
それにしてもこの一ヶ月は長いようで「あっ」という間でした ― 発症した日のことが今も昨日のことのように鮮明に思い出されます.
ところで、先日のエントリーで不快な思いをされた方がいらっしゃったようでした.素直にお詫び申し上げます.
閑話休題
時間だけはあるので、近況の報告を兼ねて今すこし考えていることなどを書こうと思います.
最近は早朝に起床し、耳鳴りが気になりださないうちに近所の公園に出かけるようにしています ― 朝の散歩は体力づくりやストレス緩和以外にも、内耳の血流がよくなるなどいいこと尽くめらしいので.
でも真の目的は大好きな野鳥を観察すること ― 野鳥というと聞こえがいいですが、僕の気になる野鳥は揃いもそろって「害鳥図鑑」に名を連ねているため普段は大っぴらに語ることを躊躇します ― いわゆる至福の時間です.
朝食後はJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲やフルートソナタをピアノで弾きながら指先の触感を噛みしめる.こうしてのろのろさらうことがある種の日課となりつつあります.
日が落ちてからの夜はうってかわってのどかです.厄介な耳鳴りも、今はノイズマスキングイヤープラグのお蔭で、曲のアナリーゼや気ままな読書を楽しめるくらいになりました.
そして一日の終わりには精神的にも物理的にもいわゆる世間から離れたところで、今ここに生じて在る本来の《自分》に立ち返る ― どこに属することもなく、干渉されることもなくひとり坐している ― そんなひと時にかけがえのない「自由」を見い出します.
「どうしてこんなことになってしまったのか」と肩を落とす一方、潤沢な夜の暇(いとま)を授かり、自身の気持ちを見つめ、自己とじっくり向き合う時間が今ここに有る.このような奇妙な境遇を、昔の人は「運命のいたずら」と呼んでいたのかもしれませんね.
少なくとも今は≪自分≫をなおざりにしてもがいたり、突き進む時期ではない.いろいろ思いがくすぶりはじめるとそう自分に言い聞かせています.
Life can only be understood backwards; but it must be lived forwards.
人生は後ろ向きにしか理解できないが、前を向いて生きるしかない。
これはセーレン・キルケゴールの残した僕の好きな格言の一つです.これまで辛かった時、心折れそうな時にはこの言葉を思い出して乗り切ってきました.
理性的に考えればそれほど難しい話ではないと思いますが、はじめから固定的な意味(絶対的価値)を有しているものはこの世に一つもありません ― 人が生まれてから死ぬまでの間、つまり「人生」でさえ、所詮はいにしえの先人たちがこしらえた観念(想像の産物)に過ぎず、意味どころか実体があるのかさえ定かでない.
唐突にこのようなことを書くとまたお叱りを受けるかもしれませんね‥でも仮に、最初から最後まで変わらぬ意味があったならどうでしょう.今の僕なら、それにあぐらをかいて、冴えない日々をやり過ごし、のんべんだらりとした一生を終えてしまうと思います.
かつては「人生は暇つぶし、ラクして楽しんだ者勝ち」と嘯(うそぶ)いていた時期が僕にもありました.が、今思えば「マズいぞ、こんなことでは意味が見つからないまま終わっちゃうぞ」と無意識の焦燥に駆られていたのだと思います.要するに未熟だったんですね.
だからといって、誤解してほしくないのですが、無益なおしゃべりや快楽(無益を超えて有害なものは論外)、お金、地位、名誉を嫌っているわけではありません.そのような目先に囚われるとキリがなくなるばかりでなく、知らず知らずのうちにほんとうに大切なことを見失う ― そうした苦い経験を繰り返した結果、あくまで自身のために一定の距離を置いているのです.
この歳になるとよく分かりますが、若い頃なら「夢」、中年以降だと「生きているうちにこれだけはやっておきたい」と思える事柄は、それに取り組めなかったことによって生じる悔いのほうが実際にやって後悔するそれの何倍も何十倍もしんどいですからね.
にもかかわらずそれがなかなかできないとすれば、やはり気を散らすメディアや外見的魅力に溢れたマテリアルが多すぎる時代のせいもあるでしょう.けれどもそのような世の中を変えることが困難であることは自明ですから、詰まるところ、悔いを残したくないのであれば自分が変わるしかありません.身も蓋もないない言い方ですが.
キルケゴールの言葉に話を戻すと、人間とは、後から振り返った時に、自らがそれまで生きたことに対する意味や証といったものをそこに見出すために、なにかに挑戦し続けたり、今という時間に心を懸けて前向きに真剣に生きようと努力する(したい)生き物なのかもしれません.
僕は今、自分が良い方向に向かっていると信じています ― もっとも「信じる」というのはそこに明確なエビデンスが得られていないことの裏返しでもありますが ― これからは、失ったものを取り戻すためだけでなく、今あるもので何ができるかを模索するためにできる限りのことをやっていく.そう心に決めました.
いつもありきたりの言葉しか思い浮かばなくて恥ずかしいのですが、こうしてブログを書いている今も、自分がいかに恵まれているかを痛いほど実感しています.皆さまに支えていただき、感謝の気持ちでいっぱいです.あらためて御礼を申し上げます.
本日より東京を離れてしばらく静養に努めます.またどこかでお目にかかれることを楽しみにしていますので、皆さまもお身体を大切に、どうぞ良い夏をお過ごしください.
おはようございます。
少しよくなってきたようですか??
なんか、
またちょっとよく分かんないけど…
ゆっくり静養なさってきてくださいね。
ミャンマーの僧侶?!
「ビルマの竪琴」って映画、
知ってますか?
ピアノより竪琴が合ってたりして(←冗談です)(^^)。。
これだけお話になるのは前向きな状態である証拠!
さすが川村先生です。?
引き続きゆったり静養なさって下さいね?
こんにちは!
ん?川村さんのブログ、レイアウトが変わりましたか??
それにしても毎日暑い日が続きますね!こちらは連日37度越でクーラーフル稼働です☆
近況報告ありがとうございます。
前回のエントリーで「聴力の数値は入院時からほとんど改善はしていません。ただ、悪くもなっていません」と話されていましたが、その後はどうでしょうか。
数値が見える化出来ると励みにもなりますよね。
良い数値だと素直に嬉しいですし、万が一変わらない場合は他に良い方法はあるかな?と工夫することも出来ます。
病気になると、「なんでこうなってしまったのかな・・・」という気持ちになりがちですが、その中で自己とじっくり向き合う時間が持てたことはある意味良かったことかもしれませんね^^
少しずつ少しずつ良い方へ向かうといいな・・・と心から思っています。
私の家の近くにお地蔵様が居るのですが、近くを通るたびに「川村さんの耳が元の通りになりますように」とひっそりお願いしています。
昨日もお願いして来ました。
身体も心もどうぞゆっくり静養なさってください。アヤ
ちゃまさん
言葉足らずでしたね、すみません.とりあえず今できる限りの治療を試して一段落したので気持ちがさっぱりしたのだと思います.
Ayaさん
お地蔵さんにお祈り‥痛み入ります.確かに数値として見える化されることによって励みになるものはありますね、ダイエットとか笑
川村さん、コメントのお返事どうもありがとうございます。
確かに、ダイエットは数値が見えると励みになりますね(笑)。
「量るだけダイエット」なんてテキメンです☆
川村さん、さっぱり爽やかな気持ちの様で良かったです^^
お地蔵様にはいつもお願いしたいところですが、あんまり毎日行くとお地蔵さんから「また来た・・・」って思われそうなので(笑)、近くを通った時にお祈りしています☆アヤ
川村さん、こんばんは。お久しぶりです。
私の好きな方の言葉に、人生の多くはなんとかなる。「なんとなる」と思って行動すれば、何とかする人になって、なんとかなるもの。
私はこの言葉で、前向きな姿勢の大事さを再考しました。
川村さんも、頭が下がるほどの前向きなお考えがブログから感じられて、只々凄い方だなぁと感心しております。
ご静養はご実家でしょうか?体力、気力共に蓄えられて、東京なら戻られる事を願っております。また、これも久々の11月の福井での演奏会を心待ちにしております!
きなこさん
ご無沙汰しています.普段は足りないものがやたらと目につくせいか、なんとかしようとしてもどうにもならないことのほうが多く感じます.が、長期的な視点で振り返ると、それでもなんとかしているうちになんとかなってきたようにも思います.それがきなこさんの言う「なんとかなる」かどうかはわかりませんが.プラス思考でもマイナス思考でもなく、性急に答えを求めるのでもなく、ただじっと待つのでもなく‥とにかく今あるものを大切に、前に進みます.
こんにちは!
なんか最初読んだとき難しくってよく分かんなかったけど、
また読んでみたら、なんかいいねぇ…と思いました、
なので、今の世の中で流行り?のいいね…というのをします(^^)。
☆「いいね」☆
ブログ、拝見しました。
福井でご縁があった者です。
日々、耐えて来られたのですね。
私は音楽の理解はそれほどありませんが、川村さんの演奏を何度か拝聴しました時には、おこがましくも、私の中で何かに「共感」もしくは「共鳴」したのを最も印象的に覚えております。
Life can only be understood backwards; but it must be lived forwards.
この言葉、私の心にもすっと入ってきます。年を重ねるほど、どうにもならない事ばかりに囲まれて生きている気がしていますが、それでも、前を向いて人生をprojectしていくしかないと思い、日々過ごしております。
川村さんはこれからも変わらず、私なんかの想像も及ばないような美しい人生を歩んでいかれるのでしょうね。
一日も早いご容態の回復と、お心の安らぎをお祈りいたします。
いつかまた演奏会に伺える機会を楽しみにしております。
Mさん
はじめまして.「想像も及ばないような美しい人生」‥僕はこの言葉がとても気に入りました.その美しさに気が付ける心であれるよう、一日一日をていねいに生きたいと思います.
こちらは、
台風が過ぎたら、
とっても良い天気です!
先生の耳が早くそうなると…⭐️いいね⭐️