徳島田園コンサート

投稿者:

先日の twitter にも書きましたが、最近は音楽をしながら自分が何かの
架け橋になっているように思える時が一番幸せだと感じるようになりました.
 

それはある意味で、音楽をすることに対し昔のような特別感が無くなってきたということ ─
もちろん僕にとってクラシック音楽というのは常に新しい発見の連続で、それ自体が
自分の人生を変えてしまうほど大きな存在であることには違いありません.
 
けれども音楽を伝えていく自身はというと、以前に比べて欲や執着といったものが
どこか希薄になってきている.少なくとも一般的に抱かれる音楽家のイメージからは
程遠いなと自分でも思います.もっとも少々浮世離れした生活をしている自覚は
ありますが、それは望んでそうしているわけではなく、やむを得ないことです.
 
正直に書くと、学生の頃はピアノを弾いている自分をどこか 「他人とは違う」 と
思いたかったし、実際にそう思いながら演奏をしていたのだろうと感じます.
そうした虚栄心の代償は決して小さくはなかったのですが、それも若気の至りで、
今となっては大なり小なり多くのプレイヤーがいずれは経験することだと考えています.

 

さて、僕が初めて徳島に訪れたのは今から15年前.さらに、ご縁から田園コンサートに
年1,2度ほど出演させて頂くようになって今年で11年になります.今では聴きに来られる方の
多くがほとんど顔なじみでもあるので、演奏会で再会できることが本当に嬉しいです.
 
冒頭にも書いたように、僕は僕で勉強を重ねて少しでも良い音楽を届けたいと思う.
けれどもそれは一方的な奉仕ではない、実際、生の音楽というのは会場の皆さんと共に
分かち合うもの.そろそろ僕も自分の理想の演奏を追求するのは普段の生活の中に留め、
人前に立つときには、聴きにいらした方々と共に、皆で一緒に作品を愉しみたい‥
長いのか短いのかわかりませんが、年月を重ねるうちにそんな心境になってきました.
 
当然ながら演奏会の規模や内容によってはそうもいかないこともたくさんありますが、
僕にとってこの音楽会はほんとうに安心して弾くことのできる心の故郷のようなものです.
こうして音楽をする愉しみを再認識させてくれる場があることに改めて感謝しています.

 
 

今回もお天気に恵まれ、公演の前後には両親やスタッフ等とドライブをしました.
“秘境” と呼ばれる祖谷にも初めて足を運び、大自然を満喫.ちなみに
かずら橋は僕は全然恐くありませんでした、むしろ楽しかったです.
 
kawamurafumio_20141115kawamurafumio_20141116akawaurafumio_20141116b

kawamurafumio_20141116ckawamurafumio_20141116dkawamurafumio_20141116e

kawamurafumio_20141116e

 
 
 

6件のコメント

  1. 先生☆こんばんは☆
    コンサートお疲れ様でした!
    そして写真からも伺えますように、
    先生は大変有意義な(土)(日)を過ごされ…前回の私のコメントときたら(泣)。。
    長く継続されている会に、皆様もさぞお喜びになられたことでしょうね♪。。

  2. 無事終えられたようでおめでとうございます!
    ここでのコンサートには機械があれば是非一度はと思っていながらなかなか時間のやりくりが下手で未だに…。
    ますますのご活躍を!

  3. こんばんは☆

    徳島でのコンサート、楽しい会になったようで良かったですね(笑顔)。
    また、音楽をされる上での考えや気持ちにも新たな芽生えがあったようで、今後の演奏会がますます楽しみになりそうですね。

    音楽を届けるプレイヤーと観客である聴衆が1つになって会場に一体感を成すコンサートは本当に素晴らしいものだと想像します。
    そんなコンサートが今後ますます増えるといいですネ!

    私の中では徳島と言えば「阿波踊り」。
    でも川村さんのピアノと出会ってからは徳島イコール「田園コンサート」になりました^^
    もう11年なんですね!
    これからも末永く続きますように・・・☆

    自然溢れる徳島の写真は地元の昇仙峡にも似ていて、どこか懐かしさを感じます。アヤ

  4. こんばんは!
    素晴らしいコンサートのご様子、おめでとうございます!

    久しぶりにメジロの写真、嬉しく拝見しました。かわいいですね。
    柿を食べてしまったのでしょうか。(柿食べるのですか??)
    お陰様で鳥のさえずりを以前よりよく聴くようになったように思います。
    近づくのはまだ怖いけれど。

    写真のつり橋、私は絶対に渡れないと思います、怖すぎ(*_*;
    楽しかったのですか??すごいですね

  5. 「花鳥風月」「自然の景勝」。
    やはり音楽は「自然」なのかもしれません。
    というか、人間は自然の中で生かされているのは自明でも、あらためて音楽が自然と切り離せないインスピレーションの源泉なのかなと思い出す川村さんのお写真です!

    音はそもそも無機質で抽象的で、数学的でさえあるものですが、人間の脳と心でゆらぎも生じて楽器は機械ではなく生き物になる。その「心こそ」は音楽の命なのかなと思うんですが、たとえエチュードでもプレリュードでも、ショパンでも、心の元手は自然なんだと思うのです。どういう曲も自然の情景や象形でイメージすることはできるのではないかと思うのです。(でもそれは穿って間違いかもしれません。)

    今ふと思いましたのは、奏法の脱力にしても、響きにしても、張り巡らされた計算で成すものではなく、それが自然の追及でなされるべきかもしれない、ということです。ラモーの時代から自然動物のネーミングで曲が書かれ、ベートーヴェンさんも散歩が日課だったというし、やはり音楽は自然(生命)の妙に沿うものなのかもしれないと考えてみました。
    とすれば、川村さんの音楽観(教育眼)の変化もまた自然の移り変わりなのかもしれないですね。
    徳島の田園コンサートはネーミングからして実に意味深いと思います。
    川村さんの音楽の源泉は福井の風土と気象かもしれず、目先の西欧かぶれ(体験)でも決して得られない気がする「自然」への「まなざし」で生み出されているのかなと想像しています~。猫も杓子も留学するけれど、本当は自然を見る(感じる)目が大事なように思われてなりません。
    でもでも…、プロコ7の二楽章と鋼の無窮動は自然にはとても置き換えられないものでしょうか~!!? ちなみにスクリャービンは色彩スペクトル論を齧っていたそうです。
    (高所恐怖症の音の変幻より^^;)

  6. ちゃまさん
    私が書くのもなんですが、これほど長く続くご縁は少ないと思います(だからご縁というのかもしれませんが‥).本当に有り難いですね(^_^

    高良さん
    是非いらしてみてください.演奏会だけでなく、徳島にはおいしい食べ物や素敵な見どころがたくさんありますよ.

    Ayaさん
    まさにその通り、徳島と言えば田園コンサートなのです!笑

    匿名希望さん
    吊り橋に限らず高いところが好きなのかもしれません(おつむの程度が知られてしまいますね‥).柿は目白の大好物なんですよ、本当に美味しそうに食べます.ただ、家の近所はヒヨドリが多いのでビクビクしながら摘まんでますが.ところで、「うぐいす色」というとメジロのような色を思い浮かべるのですが、実際のウグイスってもっと渋い色ですよね、、謎

    音の変幻さん
    現代人はきっと自然に抗うのが好きなんでしょう、都会で暮らしていると特にそれを感じます(もっとも便利で良い面もありますけどね‥).個人的には「非音楽的」という言葉は、まさしく「不自然であること」を指すのではとも思います.無味乾燥やつくり過ぎた音楽(演奏)は高度に文明化されていない原始的な暮らしの中からは本来は生まれ得ない筈です.ただ、皮肉ですが、ある種の不自然さが芸術の域まで極まることも否定はできません.

    ところで、30歳を過ぎてからですが、人生や音楽には「季節」があると考えるようになりました.良い意味でもそうでない意味でも、日々の小さな出来事はさまざまな変化に富んでいて、それが今の僕の音楽観の中心にあると思っています.ある意味で、自分がどこに向かうかを考えるよりも、今があるということをこれまで以上に大切に考えるようになりました.その分、教え子や後輩たちの進路相談の時に大変苦労しますが、、汗

コメントは受け付けていません。