ひところ流行った「自分探し」を否定するつもりはありませんが、どこか遠くにあるであろう自分像を探しに行くよりも、それを探している自分 ≒ 今ここに在る ≪自分≫ を知り、気づきを保ち続けることのほうが大切だと思っています。
それは詰まるところ「心のステイホーム」と言えなくもない。ここでの「心」とは、メンタルやマインドではなく、どちらかというと「ハート(heart)」に近い。思考や意識とは無関係に湧きおこるという意味においてです。「ホーム」はホームグラウンドのホーム。日本語だとどうでしょう。アウェイとは違って自然体で居られる、自己の居場所‥まったく、形のないニュアンスを言葉に置き換えるという作業はどうしてこうもめんどくさいのでしょう笑
閑話休題
あくまで素人解釈なので読み流していただきたいのですが、心のはたらきは時に「感情」と混同されるようです。が、心は感情ほど粗削りで原始的なものではありません。かといって、前述の思考や意識のように鍛えたり洗練されてゆくものとも異なる。「心変わり」、「心ここにあらず」とも言われるように、心はとても移ろいやすく素朴で主体性に欠けるものなのかもしれませんね。
でもだからこそ、何が起きてもそこに生じる ≪自分≫ をむやみに拡散させないことこそが、このささくれ立った社会を生きぬく一つのテクニックとなり得るのではないかと思うのです。心のホームを自覚しそこにステイし続けることは、決して他者を遠ざけたり殻に閉じこもることではありません。それどころか、互いの存在価値を認め合い、至らなさを赦し合う基盤になる。少なくとも今の僕はそう考えています。
ところで話は変わりますが、今日は来週から月末にかけての仕事に備えて休みを取っています。先日リリースしたCDに対し方々よりお褒めの言葉を続々といただいているので(手前味噌でスミマセン)、どの辺が良いのかちょっと真剣に聴いてみようかなと思っています。
ほんとうは障子を張り替えるのにうってつけのお天気で朝からウズウズしているのですが‥かえって疲れを増やしては意味がないのでおとなしく過ごすつもりです。
心のステイホーム。。
以前、父親が主治医していた老人ホーム(この場合のホームはハウス)によくついていってたのですが、
ボケるとより「感情」的な感じ?になったり、
ボケてない人の方が「心」がこまやか?だったような…まあ性格的なものもあるでしょうけど「性格」っていうのもまた面白いですよね…でも、いくつになっても心って同じなんだな~と感じたりもしました。
あと「心のよりどころ」っていう言葉もいいですよね。
今、世の中はまた感染者数が増えてきていますね、
自分が出来ることはしていきたいと思います。
予防接種が早くできますように!!
どこが良いか、1つに絞るなら…
CDも生演奏も、互いに主張し合う事も遠慮する事もなく、
チェロとピアノの歌が美しく重なり、耳を奪われるか、寝落ちかどちらかになってます。
川村先生、楽しみにしていましたCDが届きました。
昨日、他所から自宅に戻りまして、聴きましたこのCD、私が言うのもおこがましいですが、素晴らしい❣️
素晴らしいの一言です!
松波惠子さんと川村先生との息がぴたりと合ったこのCDは、私の耳に心地よく、チェロを支える川村先生のピアノは、とても柔らかく優しくチェロを包みこむ音色で、うっとりと聴いていた私は、トロイメライの曲で、うっとり..しているうちに、うと..うと..となりました。
『浪漫への誘い』の通り、ロマンティックな音の重なりを、チェロが好きな夫とドライブする時にも掛けて掛けてあげようと思います。
こんな素敵な音楽を、ありがとうございました?