どの分野にも言えることかもしれませんが、演奏家にはそれぞれのライフステージにふさわしい表現者としての自立が求められるように感じます。
僕がディジー吉本こと、吉本信行さんの存在を知ったのは3年前の夏 ― ミュージシャンの生命線とも言うべき聴覚を失ったプレイヤーが再起できることを実証してくださった恩人です。
余談ですが、逆境にさらされた人のネガティブ・ケイパビリティやレジリエンスを奇跡といった不誠実な言葉とともに消費していく現代社会への幻滅を僕はあえて隠しません。一当事者として、それは不可能への挑戦を妨げることはあっても、聴覚器を通したあらたな聴こえと真剣に向き合う人たちを鼓舞することにはならないと感じるからです。
実際に、吉本さんが2016年にアメリカで発刊された “Making Music With A Hearing Loss” に日本人として唯一掲載されたことは、いかなる状況においても自身の中にある音楽を諦めないこと、そして探求し続けることの意義の大きさに多くの当事者の共感が得られたことを物語っています。
僕は以前、人生とは失うことの連続であると書きました。大切なことなのでオブラートに包まずに書きますが、一度失なったものは二度と同じ形で取り戻すことはできません。なぜならあらゆる物事は絶えず移り変わっているからです。
このように書くとお前は虚無主義者か?と言われそうですが、そうではありません。正確には、ニヒリズムを認めたうえで、「喪失」を「変化」と捉えなおしてみたい ― ポジティブになれない日があったとしても、どうしたって前に進むしかないのが人生なら、いっそ明晰な心でそれを変転の一つと受け止めたい。そう思うのです。
“不思議なことに、聴こえないほうが、音楽をより身近に感じる”
(JAZZ JAPAN July 2017 インタビューより)
身体のすみずみまで流れている音楽を鳴り響く音の中に見出すことが出来ず、苛立ちをこじらせては塞ぎ込む自分に戸惑いながら歩む日々。けれども物理的な聴力が向上しない分、精神的、内的な世界に浸りきれる強みが今の僕にも確かにある。
孤独を受け入れることで表現者として自立された吉本さんの生き様に感化されつつ、この素敵なご縁にあらためて感謝する今日この頃です。
写真の説明
耳鳴りが酷くて眠れない日はこのアルバムを聴きながら朝を迎えます。僕は”Beyond The Blue” を
特に気に入っているのですが、先日この作品の作曲の経緯をうかがってなるほどと思いました。
ちなみに僕の手にしているこのCDはご本人曰く、(貴重な)最後の一枚だったそうです。
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