「苦しい事件に出会った時には、まず、それについて感謝に値する事柄をさがし出し、それを率直に感謝しなさい」 ― これはヒルティが「愛」に関する具体的実践法を語った(と僕が思っている)一節です。
ここでの「愛」とは特定の人やあるモノに対する関係のことではありません。たとえば僕は自他ともに認める愛鳥家ですが、昔とちがって今は「こっちの鳥は良くてあっちの鳥はダメ」といった選り好みをあまりしなくなりました。そのような愛の態度は音楽や人に対しても概ね同じです。
誤解を恐れずに言えば、聞こえにくくなったことによって、僕は自分がいかに音楽を愛しているかを思い知りました。以前のように物理的な音や楽(がく)のしらべに酔いしれることこそできませんが、それでもこれほど身近なところで、これほど長く、変わらず寄り添ってくれている存在は音楽の他にはありません。何が言いたいかというと、その事実に今は素直に感謝をしているということが一つ。そしてもう一つは、それが僕なりの音楽愛の実践だということです。
残念なことに、昨今は自身が音楽をするに値する人間かどうかで悩む人たちが増えているように感じます。でも、なんだか妙な話だなとも思います。そもそも「音楽をするに値する」とはどういう意味で、それは、誰が規定しているのでしょうか?少なくとも僕は一方的な条件を満たしたり、自分の期待にこたえてくれるかどうかで生徒をジャッジすることはありません。あえて書きますが、能力や属性で人を品定めすることはすでに時代に合っていないと思いますし、音楽であればなおさらです。
自身とは異なる特性や価値観を持つ人々をどこまで尊重することができるか ― これはこれからの共生社会に求められる普遍的スキルであると同時に、音楽を伝えていく立場である僕にとっても大きな課題の一つです。フロムは「尊重とは、他人がその人らしく成長発展してゆくように気づかうこと」と述べています。一見、親身に思いやっているようであっても、そこに相手をコントロールしたいという願望や賞賛を得ようとする意図が含まれている施しは尊重ではなく未熟な愛、つまりエゴイズムに他ならないとフロムは示唆しているのです。なかなかに手厳しいというか、さすがの鋭い洞察です‥
最後に先月末のAAMHLのカンファレンスにて取り上げられたヘッドホンを紹介させていただきます。
ご自身も補聴器と人工内耳の装用者で、シンガーソングライターとして活躍されているゾーイ・ナットさんが、日本のオーディオテクニカ ATH-M40x を愛用されていることを教えてくれました。俄かに信じがたかったのですが、さっそく取り寄せて 軽音楽部!難聴派 のバンドの皆さんと試聴をしたところ、控えめに言っても愛すべき音 ― これまで手放してきた数々のヘッドホンたちはなんだったのかしらと ― とにかく好印象しかありませんでした。
ここからは個人差がある前提で書きますが、イヤパッドが広いため補聴器や人工内耳と併用可能で反響音による辛さが軽減します。また、Bluetoothマイク(聴覚補聴機器のアタッチメント)に見られる音の遅延や途切れがなく、同じくスマホやタブレットとデバイス本体をペアリングした状態でのストリーミング時の音質と比べても、より音の立体感や伸びが感じられるようです。今はPCMレコーダーで集音した音をポータブルアンプで調整しながら練習時の微細な音のチェックに活用しています。
もっとも僕の場合は補聴器を通した音に神経を集中することに変わりはないため長時間の練習は避けるのが無難です。ただ、このあたらしい響きを正確につかむことによって今よりも繊細な表現が可能になるかもしれないので、これからも工夫をしながら少しずつ慣れていけたらと思います。
まだまだ厳しい暑さが続きますが、皆さまもどうかお身体を大切にお過ごしください。
引用・参考
カール・ヒルティ著『眠られぬ夜のために』(草間平作・大和邦太郎 訳).岩波文庫
エーリッヒ・フロム著『愛するということ』(鈴木晶 訳).紀伊國屋書店
AAMHL: Association of Adult Musicians with Hearing Loss
ゾーイ・ナット: Zoë Nutt
オーディオテクニカ: audio-technica ATH-M40x
軽音楽部!難聴派: 最高のDay Dream Believerを聞いたことについて