202241124tokyo100

走るピアニスト

投稿者:

 去る11月23日(土)から11月24日(日)にかけて開催された山岳レース、Tokyo100(公式101km、累積7007±m、制限時間30時間)に選手として参加させていただきました。

202411241057
鷹ノ巣山(1736m)から拝める富士山

 僕の走力では仮眠をとる余裕はもともとなかったため、夜通し走り続けることにはなりましたが、後述する多くの幸運に恵まれてどうにか制限時間内に完走することができました。

20241124_150917
Tokyo100の完走証

 この11月は過労と健康上の理由から幾つかのロードレースを辞退していたこともあり、大好きな青梅奥多摩の山々を駆け巡る爽快感はひとしおでした。同時に、これまででもっとも過酷で長いレースは、自分が「走る」という行為にどう向き合っているのかをあらためて考える機会にもなりました。

20241118_130000
美しい高水山常福院の紅葉(試走)

 僕がランニングを始めたのは約2年前、東京レガシーハーフマラソンの障害者枠(難聴)への出場が決まったことがきっかけでした。当時はスポーツ経験のない自分がまさか走ることに興味を持つとは思ってもいませんでしたが、手話講習会のクラスメイトたちに背中を押されるかたちで走り切りました。それから今日まで、走ることは僕の日常の一部になっています。

20241118_132013
岩茸石山(793m)への激坂(試走)

 ときどき、「走ることが何の役に立つの?」と聞かれることもありますが、実を言うと、僕自身もそれを明確に答えられないというか、何かのために走っているという感覚があるようでないというのが正直なところです。強いて言えば、ピアニストとしての自分の可能性を信じられなくなったとき ― 走ることは僕に少しだけ自己効力感を与えてくれるように思います。

20241124_040040
午前4時の湯久保山(1040m)から

 言うまでもなくピアノは大切な存在に違いありません。けれどもプロとして続けるほどに音楽を届ける責任の重さは増していきます。さらに聞こえが変わって以降、音や響きに戸惑いながら「音楽をする自分はどうあるべきか」という悩みが否応なくついて回る ― 走ることはそうした内なる苦悩をやわらげるだけでなく、心の中に小さな灯(あかり)をともしてくれる気がします。

20241111_134809
奥多摩むかし道 同所橋(試走)

 もっとも、走ることによって僕が僕自身であることや、僕の人間的価値が変わるわけではありません ― それはピアノを演奏することも同じです ― でも、だからこそ打算や掛け値なしに一生懸命になれることが心を鼓舞してくれると感じますし、走ることに真剣に向き合うプロセスそのものがさらに前進する力を与えてくれるのだと思います。

20241111_153702
サス沢山から見た奥多摩湖(試走)

 最後になりますが、多くのボランティアスタッフやあたたかい声援で励ましてくださったハイカーさん、そして初対面にも関わらず声を掛け合って共に走ってくれたランナーの方々のおかげで無事に怪我もなくゴールまで辿りつくことができました。僕にとって忘れられない経験となったTokyo100に関わるすべての皆さまにこの場を借りて御礼申し上げます。

 ありがとうございました。

Instagram:
https://www.instagram.com/kawamurunning/