なぜ音楽をするのか

     お蔭様でエキスパートレッスン受講生による発表会、そしてピアノリサイタルを無事に終えることができました.お越しいただいた方々と、きめの細かいサポートでコンサートの進行をお手伝いしてくださったピアノフォルテ上大岡のスタッフの皆さまには改めて感謝申し上げます.本当に有り難うございました.
     

     さて、第1部の発表会で僕は、講師としてだけでなく一聴衆として、受講生の奏でる響きに耳を傾けながらさまざまに思いを巡らせました.
     
     何よりもまず感じたことは発表会はジャッジをくだす場ではないということです.仕事柄、僕もつい忘れがちになるのですが、その人の具体的な作品の解釈よりも、或いは演奏の出来栄えよりも、もっと大切な何かがこうした催し物にはあります.
     
     それに気付けるかどうかはその時のコンディションにもよるのかもしれませんが、実際に参加してみなければわからない‥得難いその何かに惹かれているからこそ年齢や立場を越えた多くの人たちがこうして集うのではないかと改めて感じました.
     

     また、個人的な感想になりますが、演奏から垣間見える音楽に対する姿勢、或いは人としての生きざまは、「なぜ音楽をするのか」 という究極的な問いをこちらへ投げかけてくるようでもあり、文字通り、深く考えさせられました.
     

     おそらくは皆、ピアノがもっと上手くなりたくてレッスンに通ったり、演奏や教育で食べていきたいと切望して音楽大学に進学するものだと思います.もちろんそれば決して間違ってはいない.だけれども、ピアノがスラスラ弾けることと演奏芸術の本質に迫ることはそもそもが別問題です.それにピアノでお金を稼ぐことと豊かな音楽人生を歩むことが必ずしもイコールとは限りません.また、僕の経験則では、同じ人でも、過去に描いた理想とその後の現実とのギャップが音楽をする試練になることもあれば、反対に希望に変わることもあります.なぜなら人生には幾つものライフステージがあるからです.
     
     ちなみに僕は、普段はあまり人にお話することはありませんが、自分がなぜ音楽をするのか、音楽をすることにどんな意味があるのかということをほとんど毎日のように考えています.
     
     もっとも目の前にある仕事に追われていることも多いのですが、それだけをこなしていれば良いと思ったことは一度もありません.自分の中では仕事にしろ音楽にしろ、まだまだわからないことがたくさんあって、けれども、考えながらこなしていくうちにある時ふと方向性のようなものが見つかっている.30代後半を迎えた今は概ねこのような感じです.
     

     話を巻き戻しますが、ピアノ奏者は一般的にアンサンブルをする機会が少ないせいか、音楽会に集うということがあまり多くはないように思います.けれどもコンサートには、たとえば人の心と心が触れ合うような、そんな意味のあるやりとりが少なからず存在しているように僕には感じられます.自分の話をすると、普段、生の音楽を聴く機会に恵まれない方々の前で演奏をさせて頂く時でも、思いがけずハッとするような瞬間が生まれたり、気持ちが救われるようなあたたかい言葉をかけて頂いたり ─ ある意味それは作品が云々とか指さばきがどうしたといった次元を越えた普遍的な感動.言ってみればお互いの人生のどこかが共鳴するような奇跡に近い.
     

     今回、僕がはっきりと感じられたことは、人は、あるものに対して抱いた気持ちを何らかの形で表現し、且つそれを他者に伝えずにはいられないということです.
     
     僕は言葉ではうまく言い表すことができませんが、もしピアノを通してそうした気持ちを誰かに伝えることができたなら、そこには何らかの意味が生まれるものと信じています.

     

     ‥また、長々と書いてしまいましたが、最後に今月行ったコンサートやイベントの写真を掲載させて頂きます.写真を提供してくださった皆さん有り難うございました.
     
    越のルビー音楽祭 ピアノと短歌で綴るコンサート@ハーモニーホールふくい.2枚目の写真はアンコールのサプライズ演出、会場も皆さん大爆笑でした.共演は大宅さおりさん、早くから練習に付き合ってくださり感謝です.
     
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    翌日、美浜町生涯学習センター なびあす にて.同公演終演後の出演者による記念撮影.ファツィオリは明るくてフワッとしていました.

     
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    こどものためのピアノフェスティバル2015 は、ハーモニーホールふくいの小ホールでしたが、本格的でありながらもアットホームな雰囲気がありどこか懐かしい感慨を抱きながら演奏致しました.鳥山楽器の皆さまも有り難うございました.そしてがんばれ子どもたち!!
     
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    最後に、こちらはハーモニーアカデミーのオープンスクール.今回は桐朋学園大学の模擬レッスンを担当致しました.地元の若い学生たちが音楽を学んでくれるのは嬉しいものですね.
     
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4 Comments »

 
  • Aya より:

    こんばんは♪

    上大岡での発表会&リサイタル、成功に終わったようで本当に良かったですね!
    当日は何人くらいの出演者で、皆さんどんな曲目を弾かれたのでしょうか?
    また、リサイタルではどんな曲を演奏されたのかしら・・・。
    個人的にとても興味があります☆
    何かの機会にまた教えて頂けると嬉しいデス^^

    私も今年は2回発表会に参加させて頂きました。
    その時にある先生がお話して下さった言葉、
    「発表会は、当日無事に演奏会場に来られたことそれだけでもう90%上出来です!あとの10%は楽しく弾いて下さい!」
    とても心が救われました。

    音楽をすることの意味は人それぞれですよね。
    私にとっては音楽をすることイコールピアノを弾くことになりますが、私は割と早い時期に自分がピアノを弾くことの意味を明確化することが出来ています。
    それは自分にとってはとても幸せなことで、そのプラスのスパイラルがあらゆる事柄に巡ってとても良い感じでピアノライフを楽しむことが出来ています。

    演奏している川村さんも魅力的ですが、教えている川村さんもいきいきしていますネ!
    学生さんにファシリテーションしている自分を見ているようです(笑)。アヤ

  • Aya より:

    あっ、曲目、サイトのスケジュールに載っていましたね。
    すみません。
    ありがとうございます^^アヤ

  • kawamurafumio より:

    Ayaさん
    音楽することの意味は人それぞれ‥まさにその通りです.それを 「こうあらなければならない」 と一般論の理想を掲げてそれに縛られるほど無益なことはありません.きっと音楽それ自体もそれを望んではいないはずです.

    僕が教える時に大切にしていることは一人ひとりが自身の音楽の愉しみ方を見つけること.来年は生徒たちを連れて地方合宿も計画しています.それぞれの愉しみ方を見つけるためにはやはりいろいろなスタンスの方たちとリアルに交流するのが一番ですからね.

  • […]  3年前のエントリー「なぜ音楽をするのか」でも似たようなことに触れましたが、自身の気持ちに素直に書くと、僕は音楽をすることによって世俗的な幸福を手に入れようと躍起になること、もっと卑近な例でいうと「集中力がつく」、「頭がよくなる」、「コミュニケーション力がアップする」といった価値観には積極的に賛同しません.理由は簡単で、それはあくまで副次的な結果にすぎず、音楽そのもので満たされるというよりは、音楽を利用して何か別の目的を果たすための取引になってしまうからです.    しかしながら、残念なことに、僕が音楽教育に携わるようになって10年余りの間に、音楽を学ぶという行為が上記の目的を達成するための「手段」として捉えられる傾向がますます強くなってきているように感じます.そうすると、音楽を学ぶための時間や費用といったものが、コンクールの成果や社会的成功(経済的な地位や報酬)を回収するための「投資」になってしまうのは自明で、結果的に音楽難民 ― 自身の中にある音楽を見つけられないまま彷徨ってしまうという意味の造語 ― を増やしてしまうのではないかと危惧しています.    ただ、誤解をされるといけないので補足しますが、僕は決して「何かを目指すことが悪い」と言っているのではありません.自己の向上のためにコンクールにトライすることはもちろん大いに結構です.ただ、大切なことは、あるスキルを身に着けるにせよ、今現在の自身にとって、或いは周囲からみた自分に有益なプラスアルファではなく、その本質を― この場合は「本来の役割」という意味 ― きちんと学ぶことのできる専門機関や信頼できる指導者の下で研鑽を積むことだと思っています.    もっとも、僕は「音楽との関わり方」が人によってさまざまだということは重々承知しています.「これが正しい音楽だ」とか、「自身のやっていることこそ本物でそれ以外は間違いだ」といったことは考えたこともありませんし、既に述べましたが、あくまで否定ではなく、それらに一定の価値を認めつつも、積極的に賛同しないということです.これは音楽以外のシーンでも常に気を付けていることなので、くどいようですが敢えて書かせていただきます.    また、現代社会における音楽家と社会との関わり方についても(文集 もぐら 『音楽家からのメッセージ』 より を参照)、いろいろお話をさせていただきました.これもまた、言ってみれば「人の数だけある」ということですが、音楽家も日々、成長や後退を繰り返しながら変化をしていくので、今の僕にとっては社会とのかかわり方も常に試行錯誤の連続です.少なくとも音楽を続ける限りは一生ついて回る答えのないテーマだとも今は思っています.    そして最後に、今回もっとも強く共感したを書いてプラハの随想を終わりにしたいと思います.それは、日頃から自身が「何になりたいか」ではなく「何ができるのか」を正確に見極めること.また、「何が欲しいか」ではなく「何を感じているのか」を(世間一般の常識はさておいて)できるだけきめ細かく観察することです.    容易なことでないことはわかっていますが、この先、あとに続く世代の教え子たちにそれを少しでも伝えられるよう精進したいと思います. […]