20220912

歓びのある道

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 本番を終えて4日目になりますが、返済しなければならない睡眠負債がたんまりと残っています ― 何の自慢にもならないけれど寝つきの悪さは昔からピカイチ ― 寝なくちゃと思うと反対に目が冴えてしまって余計に寝られなくなるので、いっそ寝てやるもんかと腹を決め新曲のアナリーゼに取りかかるのですが、するとどういうわけだか突然睡魔が襲ってくる。しかも、1時間後にはゴミ出しに行かねばならないという今朝の理不尽。
 

 何はともあれ、コンチェルトを終えることができてほんとうに良かったです。昨年のチャイコフスキーの公演後にも同様のことをブログに書きましたが、自分が奏でる音が正確にキャッチできないため自主練習のストレスや孤独感はもはや筆舌にしがたく ― もっとも練習が楽しかったらそれはそれでマズいのですが ― 我ながらこれはではもはや真性のMではないか!?と思いながら基礎練習を繰り返す日々でした。

 そして本番は、やっぱり愉しかった。ヘンな緊張をしたのか、普段は起こさないミスもたくさんありましたが、不思議なほど寛容な気持ちで最後まで弾き切れました。まぁ、当日までのプロセスを思えば、プロの仕事とはいえ弾ける歓びを素直に享受しても罰は当たらないでしょう。

― 閑話休題 ―

 おそらく覚えている学生はほとんどいないと思いますが、ちょうど3年前のこの時期、僕は門下生を招集し、いろいろなことを話しました。というのも、今だから書けることですが、僕の中ではその頃には桐朋学園を離れる意志をほぼ固めており ― 正確には仙台の教室移転が完了する翌年の3月で退職するつもりでした ― 残りの半期を生徒たちと共に少しでも有意義に過ごしたいと思ったからです。結果的にはパンデミックによって退職は1年先延ばしになりましたが‥

 あの時、ほとんどなにも聞こえない状態で筆談や音声文字認識アプリを使いながら彼らに伝えたことは今もブレてはいません。それは、人生の途上において大きな決断を迫られた時には、寂しさを理由にしないこと。そして、自身にとって真に歓びのある道を選んでほしいということ ― 迷った時は苦しいほうへ進むことと同義 ― 音楽に限らないかもしれませんが、少なくとも音楽において、ラクな道を選択して得られる感動など高が知れていると常々感じていたからです。 

 あれから3年が経ち、僕も、僕の周りも変化しました。隠すことでもないので正直に言いますが、今の僕には音楽を聴いて心が潤ったり、鳴り響く音色に身をゆだねてウットリするといった感覚はまったくわかりません。社会的後ろ盾もなければ、地位も権力もありません。それでも、こうして自身の中にある音や作品のイメージを表現することでお金や名誉では得られない歓びを感じることができているわけですから、たくさんの友人や仲間たち、そしていつも応援してくださる方々にはもう感謝しかありません。

 もっとも生き方や価値観は人それぞれですし、音楽との付き合い方に正解はありませんが、もしこのブログを読んでいる後輩がいたら、そんなピアニストもいるんだねぇ‥と頭の片隅にでも留めておいてもらえると嬉しいです(笑)
 

追記
昨年に引き続き、今回のコンチェルトでもJINO 株式会社の認定技能士、平野幸生さんに立ち会っていただき大変お世話になりました。また、マエストロである末永隆一先生をはじめオーケストラの団員の皆さま、会場にお越しいただきましたすべての皆さまにこの場を借りてあらためて御礼を申し上げます。

10月には再び同じモーツァルトのコンチェルトを東大和市にて演奏します。こちらは追ってアナウンスをさせていただきます。
 

写真の説明
コンサートの翌日、両親と鎌倉に足を運びました。ひと頃は座禅や写経をしに通っていた場所です。報国寺(画像)と浄妙寺はいつも必ず寄っていましたが、今回は久しぶりに訪れたせいか、ずいぶん狭くなったように感じました。