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音楽を生きる僕が山岳レースに挑む理由

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 ピアノを奏でることと、標高2,000メートルの山道を走ること。一見すると、まったく異なる世界のように思えるかもしれません。けれども、いまの僕にとってはいずれも「自分と向き合う時間」であり、音楽と山岳レースは根底で響き合っていると確信しています。なぜなら、聴覚のみに頼れなくなったからこそ見えてきたもの ― 身体で受けとった感覚が、自身の演奏に息づいていることを実感しているからです。

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山岳レースに装用するギアと補給食

 はじめに断っておくと、山岳レースのもたらす格別の歓びは必ずしもゴールにたどり着くことだけではありません。昨日の第11回 上州武尊山スカイビュートレイルをはじめ、この春以降の4つの山岳レースはいずれも僕にとって過酷なトレイルランニングとなりました。

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梯子を設置して開拓された難コース

 とりわけ夜通し山を駆ける長距離レースにおいては、レースを続行できるかどうかが気象条件によって左右されることもあります。何十キロにもおよぶ山道では、ぬかるみやガレ場で足先がちぎれそうに痛み、夜間にはヘッドライトの光をかき消すほどの濃霧や大雨で立ち往生することもしばしばです。

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暴風と雨でも日中の視界はまだ良好

 それでもなお、進み続けた先で思いがけず現れる風景や誰かの差し出したぬくもりに触れた時には、胸がゆさぶられるような感動を覚えます。それは、孤独や不安、折れそうになる心と向き合いながら歩みを止めなかった身体だけが知ることのできる歓びなのだと思います。

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食べられることは当たり前ではない

 「音楽はかなしみから生まれた」 ― しばしば耳にするこの言葉のふかさを、ようやく実感できる年齢になってきた気がします。仮に音楽が、ヒトの知覚や認知、記憶や感情の総体であるとするならば、僕はピアニストとして、音楽の美しさだけでなく過去を生き抜いてきた先人たちの痛みや苦しみ、かなしみを知る必要があると感じています。山岳レースは、そうした「実感」を容赦なく呼び覚ます場であり、いまの僕が音楽に向かう上で欠かすことのできない源になっています。

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気温が一桁の川渡りで足がかじかむ

 そして聴覚のみに頼れなくなったからこそ、せめて自分の奏でる音は生活体験とともに身体に刻まれたものから生まれてほしいという個人的な願いもあります。言い換えれば、どのような形であれ、僕はいつまでも「音楽の手ごたえ」をつかみ続けていたいのだと思います。

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滑落しないよう手の感覚を研ぎ澄ます

 山岳レースでは、精神のもろさや、人体のはかなさを突きつけられる場面が幾度も訪れますが、そうした極限の中で、手指を通した感覚や筋肉の震え、骨の奥から鳴るような音に出会うことがあります。こうして得られた生きた音の実感をこれからも大切にしていけたらと思いますし、そこに音楽とともに歩む手がかりがあるように感じています。

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漆黒の山道を駆けるランナーたち

 最後になりますが、山岳レースでは毎回多くのボランティアスタッフの方々が僕たちランナーを懸命にサポート・応援してくださいます。さらに補聴器のスペアを快く提供してくださったり、競技者でありながらも互いに承認し合える健やかなコミュニケーションのできる選手たち ― それが僕にとってどれほど心強く有り難いことであるかをここに記すまでもありませんが、この場を借りて御礼を申し上げます。

 ありがとうございました。

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