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2015年を振り返って

 昨日ようやく年内最後のホームレッスンを終えました.早いもので2015年も大晦日です.僕は今日から3日間はお休みを頂きます.今年は2年ぶりに実家で年越しをしますが、年始から大きなイベントが続くので、今回は親孝行だけして残りは体調を整えることを最優先にしようと思います.
 

 さて、今年もお陰様で有意義な一年を過ごすことができました.仕事面では ─ とりわけ比重を置いているのはやはり大学での教育活動ですが ─ 北は青森、南は徳島まで各地でさまざまなコンサートに出演させて頂きました.
 
 また、コンクールの課題曲講座や講演会、マスタークラス等では、演奏芸術に携わる者として「音楽や音楽作品を何のために、どう伝えていくべきか」という根源的なテーマと向き合う必要性を改めて痛感しました.「初心」とは多少異なりますが、今後もじっくり掘り下げていきたい課題の一つです.
 
 そして何より今年嬉しかったことはアンサンブルの機会に恵まれたことです.デュオ・室内楽ではチェロの松波恵子先生、バソンの小山清さん、ヴァイオリンの島田真千子さん、篠原悠那さん、クラリネットの豊永美恵さん、そしてピアニストの大宅さおりさん等と共演させて頂きました.またオーケストラでは滋賀大学オーケストラ、東京工業大学管弦楽団の皆さんとご一緒することができました.
 

 プロフェッショナルな奏者はもちろんですが、学生オケの皆さんと交流していると、彼らのその直向きな姿勢に音楽の本質を垣間見ることが少なくありません.もっとも、仕事である以上プロには制約が多いことも事実です.けれども僕はプロとアマチュアがバラバラに存在するのではなく、互いに刺激し合うところから真に豊かな音楽の未来が生まれるのではないかと考えています.まぁ理想を語るだけでは何も変わらないのでとにかく実践あるのみ、今後もできる限り垣根を超えた意義ある音楽活動を続けていきたいと思います.
 

 ところで、来年の抱負‥というのは大げさかもしれませんが、僕が個人的に心に留めておきたいことを綴っておきます.それは自分の行いに対し 「自覚」 を持つということです.よくよく考えると、30歳を過ぎた頃から急激に忙しくなり、無意識的にこなしてしまっていることがあまりに多くあります.
 
 ただでさえ、現代は自分で自分のやっていることを正しく理解するということが難しい時代です.いちいちものごとを突き詰めて考えなくともどうにか遣り過ごせてしまう ─ 善し悪しは別として、昔と違っていつでもどこでも豊富な情報にアクセスでき、他人と繋がることが可能になりました ─ その日々の過ごし方も含め、来年は自身のこれまでの在り方を見直し、人としても音楽家としても少しでも成熟した大人に近づけるよう 「自覚」 を持って活動に勤しみたいと思います.
 

 最後になりますが、本年も支えてくださった多くの方々に心より感謝を申し上げます.また、2016年が皆さまにとって健康と幸せに満ちた年となりますようお祈り致します.有り難うございました.

 
 

自問自答と試行錯誤

日本ピアノ教育連盟東北支部 主催のオーディション予選課題曲公開講座@仙台を
お蔭様で無事に終えることができました.述べ約7時間に及ぶ長丁場でしたが、
終講後には質問に来られる方も多く、音楽に対する皆さまの熱意が感じられました.
 

さて、今回の広島と仙台の公開講座を通して、作品の分析や演奏に際し
自問自答と試行錯誤を重ねることの大切さを身をもって再認識いたしました.
 
実はレッスン以外の場において、自身が演奏で表現したことを言葉で説明したり、
反対に、言葉で表現したことを演奏で立証する機会はあまり多くはありません.
 
それだけに、今回のように小学生から大学生部門までほぼ全課題曲を限られた
時間内に紹介させて頂くためには、作曲家、時代、形式や様式といった音楽の
外見的特徴だけでなく、弾き手の身体の発達に応じた手の使い方やフレージング、
ぺダリング等を予め自分の中で整理し、体系化しておくことが必要不可欠でした.
 
普段はそれこそレッスンという現場においてほとんど無意識的に対処している
ことですが、いざ講座の準備に取り掛かると自ら 「問い」 を立てることが
まず難しく、また、筋の通る 「答え」 を導くことにも苦労をしました.
言うまでもなくそれら自問と自答の間に無数の試行錯誤がありました.
 

けれども、自分なりにもがいた分の興味深い発見もいくつかありました.
 
例えばショパンの遺作のポロネーズやモーツァルトの初期のメヌエットのように、
大作曲家のあまりにも若すぎる時代に書き上げられた作品群を芸術的観点から
丁寧に比較検証していく作業は、いよいよ同作曲家の名曲・難曲に挑む際に
ついおそろかになりがちな基礎課題をくっきりと浮かび上がらせてくれました.
 
極論かもしれませんが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲やショパンのソナタを
難なく弾きこなす生徒は僕の学生時代に比べて珍しいものではなくなりました.
一方で『四季』やノクターンを相応に、魅力的に演奏できる学生はごく僅かです.
 
中には大学を卒業して気が向いた時に学ぼうと思っている人もいるようですが、
ピアノはヴァイオリンと違って、小品を先送りにすると後々が本当に厄介なのです.
 
大曲にチャレンジすることは否定しませんが、10代から20代前半の要所要所に
作曲家の原点や小品と真摯に向き合うことが重視されるべきと改めて感じました.
 

また、クレメンティ、ディアベリ、カバレフスキーといった作曲家は、やはり、
子どもたちがあくせくしながら弾いて、そのまま終わりにされている‥しかも、
ブルグミュラーやグリーグの小品、J.S.バッハのインベンションと違って大人に
なった学習者がその真の面白さに気が付くチャンスすら十分にもたらされていない.
「あぁ、なにもそこまで脇に追いやらなくとも!」 と、些か同情してしまいました.
(この機会に触れられたことがそれぐらい貴重な出来事だったという意味です)
 

‥というわけで、語りだすともう止まらなくなりそうなのでここで終わりにします.
 

ちなみに、僕は何事においても結果よりプロセス重視です.理由はとても単純です.
自分の実力は自分が一番よくわかっていて、それが結果に左右されるということは
まずあり得ないからです.自分の実力を磨くのは結果ではなくプロセスだと書いた
方がわかりやすいかもしれませんね.いずれにせよ、そのプロセスを充実させる
のが自問自答の繰り返しであり、試行錯誤を重ねることだと今回の経験で学びました.
 

最後になりますが、一連の公開講座でお世話になりました(公財)日本ピアノ教育連盟
山陽支部、東北支部の先生方、スタッフの皆さまにこの場を借りて心より御礼申し上げます.
 

会場のカワイミュージックショップ仙台、反応の良い上質なピアノでした.
 
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広島と音楽と平和

お陰様を持ちまして第32回 日本ピアノ教育連盟主催ピアノオーディション
予選課題曲説明会@エリザベト音楽大学 を無事に終えることができました.
 

こちらの写真はスタッフの先生が撮影してくださいました.
 
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余談かもしれませんが、お世話になった山陽支部の先生方は皆さんとても朗らかで、
良い意味でどこかさっぱりとした印象を受けました.仕事柄さまざまな地域の方と交流
させて頂きますが、同じコミュニケーションを図る中にもその土地ならではの慣習や
作法を垣間見ることがあり、時にそれらは音楽と繋がっているようにも感じます.
 

さて、実をいうと広島に伺ったのは今回が初めてで ─ 以前から興味はあったのですが、
仕事はそもそも選べるものでもありませんし、かといって旅行する余裕もなく ─ 講座の
翌朝はあまり体調が優れなかったこともあってゆっくり帰京することにしたのですが、
計らずも立ち寄った広島平和記念公園と資料館に久しぶりに心を揺さぶられました.
 
 
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音楽を生業としているために余計にそう感じたのかもしれませんが、世の中には言葉で
伝えきれない感動と同じくらいに理屈で消化できない問題があることを痛感しました.
 
平日だったこともあって資料館を訪れる人の約半分が外国の方でしたが、僕も含め
そこに居合わせた人たちのすべてが年齢や性別、国籍を越え、同じ人間として
どうしたら皆が平和にあれるのかということを真剣に考えていたように思います.
 

もっとも平和への道は、何が正しくて何が間違っていると一概に割り切れない問いや
矛盾を含んでいます.まして人々のライフスタイルや趣味嗜好が多様化した現代では、
これまでのような教育や啓蒙の在り方でその尊さを伝えることは容易ではありません.
 
また、似たようなことが音楽にも言えると思います.情報化が加速するこの時代に、
僕たちは音楽の喜びをいかにして分かち合うのか ─ あえて分かち合うと書いたのは
基本的に音楽にはその受け取り手の存在が必要不可欠であると考えているからです ─
考え出すとこんな自分に一体何ができるのかと疑心暗鬼になってしまいそうですが‥
 

何はともあれ、これからも音楽と平和が単なる観念ではなく一人ひとりの肌感覚で
理解され、人から人へと大切に受け継がれていくものであることを心から願っています.

 
 

なぜ音楽をするのか

    お蔭様でエキスパートレッスン受講生による発表会、そしてピアノリサイタルを
    無事に終えることができました.お越しいただいた方々と、きめの細かい
    サポートでコンサートの進行をお手伝いしてくださったピアノフォルテ上大岡の
    スタッフの皆さまには改めて感謝申し上げます.本当に有り難うございました.
     

    さて、第1部の発表会で僕は、講師としてだけでなく一聴衆として、
    受講生の奏でる響きに耳を傾けながらさまざまに思いを巡らせました.
     
    何よりもまず感じたことは発表会はジャッジをくだす場ではないということです.
    仕事柄、僕もつい忘れがちになるのですが、その人の具体的な作品の解釈よりも、
    或いは演奏の出来栄えよりも、もっと大切な何かがこうした催し物にはあります.
     
    それに気付けるかどうかはその時のコンディションにもよるのかもしれませんが、
    実際に参加してみなければわからない‥得難いその何かに惹かれているからこそ
    年齢や立場を越えた多くの人たちがこうして集うのではないかと改めて感じました.
     

    また、個人的な感想になりますが、演奏から垣間見える音楽に対する姿勢、
    或いは人としての生きざまは、「なぜ音楽をするのか」 という究極的な問いを
    こちらへ投げかけてくるようでもあり、文字通り、深く考えさせられました.
     

    おそらくは皆、ピアノがもっと上手くなりたくてレッスンに通ったり、演奏や教育で
    食べていきたいと切望して音楽大学に進学するものだと思います.もちろんそれは
    決して間違ってはいない.だけれども、ピアノがスラスラ弾けることと演奏芸術の本質に
    迫ることはそもそもが別問題です.それにピアノでお金を稼ぐことと豊かな音楽人生を
    歩むことが必ずしもイコールとは限りません.ただ僕の経験則では、同じ人でも、過去に
    描いた理想とその後の現実とのギャップが音楽をする試練になることもあれば、反対に
    希望に変わることもあります.なぜなら人生には幾つものライフステージがあるからです.
     
    ちなみに僕は、普段はあまり人にお話することはありませんが、自分がなぜ音楽をするのか、
    音楽をすることにどんな意味があるのかということをほとんど毎日のように考えています.
     
    もっとも目の前にある仕事に追われていることも多いのですが、それだけをこなしていれば
    良いと思ったことは一度もありません.自分の中では仕事にしろ音楽にしろ、まだまだ
    わからないことがたくさんあって、けれども、考えながらこなしていくうちにある時ふと
    方向性のようなものが見つかっている.30代後半を迎えた今は概ねこのような感じです.
     

    話を巻き戻しますが、ピアノ奏者は一般的にアンサンブルをする機会が少ないせいか、
    音楽会に集うということがあまり多くはないように思います.けれどもコンサートには、
    たとえば人の心と心が触れ合うような、そんな意味のあるやりとりが少なからず
    存在しているように僕には感じられます.自分の話をすると、普段、生の音楽
    を聴く機会に恵まれない方々の前で演奏をさせて頂く時でも、思いがけず
    ハッとするような瞬間が生まれたり、気持ちが救われるようなあたたかい言葉を
    かけて頂いたり ─ ある意味それは作品が云々とか指さばきがどうしたといった次元を
    越えた普遍的な感動.言ってみればお互いの人生のどこかが共鳴するような奇跡に近い.
     

    今回、僕がはっきりと感じられたことは、人は、あるものに対して抱いた気持ちを
    何らかの形で表現し、且つそれを他者に伝えずにはいられないということです.
     
    僕は言葉ではうまく言い表すことができませんが、もしピアノを通してそうした気持ちを
    誰かに伝えることができたなら、そこには何らかの意味が生まれるものと信じています.

     

    ‥また、長々と書いてしまいましたが、最後に今月行ったコンサートやイベントの
    写真を掲載させて頂きます.写真を提供してくださった皆さん有り難うございました.
     
    越のルビー音楽祭 ピアノと短歌で綴るコンサート@ハーモニーホールふくい.
    2枚目の写真はアンコールのサプライズ演出、会場も皆さん大爆笑でした.
    共演は大宅さおりさん、早くから練習に付き合ってくださり感謝です.
     
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    翌日、美浜町生涯学習センター なびあす にて.同公演終演後の
    出演者による記念撮影.ファツィオリは明るくてフワッとしていました.

     
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    こどものためのピアノフェスティバル2015 は、ハーモニーホールふくいの
    小ホールでしたが、本格的でありながらもアットホームな雰囲気があり
    どこか懐かしい感慨を抱きながら演奏致しました.鳥山楽器の
    皆さまも有り難うございました.そしてがんばれ子どもたち!!
     
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    最後に、こちらはハーモニーアカデミーのオープンスクール.
    今回は桐朋学園大学の模擬レッスンを担当致しました.地元の
    若い学生たちが音楽を学んでくれるのは嬉しいものですね.
     
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故郷に想う

お蔭様で地元でのすべての公演・イベントを終え、東京に戻りました.
 
帰京後は都会の賑やかさに困惑し、数日はオロオロしていましたが、
ようやくそれも落ち着き、いつものペースに慣れてきたように思います.
 

さて、先日のエントリーにも書きましたが、今回は久しぶりの長期の里帰り.
そのせいかはわかりませんが、生まれ育った田舎はこれまでにも増して
愛おしく感じられました.それと同時に、普段の僕はなんと似合わない街に
暮らしているのだろうと、少しだけわびしい気持ちを抱いたりもしました.
 
上京して今年で18年になります.この先も音楽活動を続ける限りは、仕事や
それに付随する人間関係、コミュニティといったものが、この故郷で培った土台の
上に絶えず積み重なっていくことと思います.無論、未来がどうなるかなどわかりません.
けれども、できることなら福井での暮らしの中から確立されたアイデンティティを失わずに、
時に自身を省みながら音楽家としての務めをまっとうしていきたい‥改めてそう感じました.

 

そんなわけで僕の心の拠り所、懐かしの風景.
 
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竹田川では子どもの頃、毎週のように釣りや川遊びを楽しみました.
ここをさらに上流へ進むとダム湖や美しい渓流、滝などが楽しめます.
最近は外で遊ぶ子どもが少なくなったせいか、魚たちも我が物顔ですね.
 
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人として、音楽家として

昨日のコンサートにいらしてくださった皆さま、有り難うございました.
 
実はチェリストの松波恵子先生とご一緒させて頂くお話は数年前からありましたが、
ちょうど一年ほど前にようやく今回の企画が決まって昨年末より少しずつ準備を進めて
きました.そうしたこともあって、無事に終えることができ昨夜は久しぶりに熟睡致しました.
 
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自分のことですが、コンサートそのものを振り返ることはまだしばらくはできないと思います.
なにしろ今回は白寿ホールも初めて、シューベルトも初めて、チェロとのデュオソナタも初めて‥
特に今月に入ってからは一日一日が本当に貴重に感じられ、実際に学ぶこともたくさんありました.
 
ですのでこれら一連のかけがえのない出来事を言葉で纏めることは今の僕にはとても難しいです.
(あ、皆さまの忌憚のないご感想はこのブログのコメント欄にて随時受け付けております、、笑)

 

ところでこの数年、齢のせいかもしれませんが、自分の中ではっきりと心境の変化を感じています.
単なる老化現象の話をしているのではなく、これまでの経験の積み重ねや日常のちょっとした
習慣によって人はこんなに変わることができるのだなぁと身を以て実感しているということです.
 
「仕事が人をつくる」 という言葉がありますが、あったと思いますが、僕は30歳になった頃から
音楽やピアノを通した生涯教育に力を注ぐようになりました.正直20代の頃はそんなことを
少しも考えもしなかったし、今でも時々、僕はどうしてこんな仕事をするようになったのかと
不思議に思いながら日々のレッスンをこなしていることがあります.誤解を恐れずに書くと、
僕はもともと教育はまったく興味がなかったし、ピアニストの何たるかは未だによくわからない
部分が(自分自身の中で)とても多いのです.有り難いことに最近は目の前にあるやるべきことを
自分なりに了解していますから、それらと向き合っているうちに何かが見つかってくるのですが.

 

さて、こんな指導者で頼りないかもしれませんが、ピアノを学ぶ後輩たちに一言アドヴァイス.
 

先に結論から書かせてもらうと、「音楽」 を愉しみたいのであれば何よりも作品に正直にあること.
嘘や虚飾はいけない.言うは易しでこれは今の僕にとっても決して簡単なことではありません.
 
如何にして拍手喝采を浴びるか、聴衆が熱狂するか、先生を唸らせるか‥そうしたことに気を
取られずに勉強や練習に専念することができれば、時間はかかるけれども、やがて作品のほうから
歩み寄ってくることがあります.くどいけれども、これはとても根気がいることだし、みんながみんな
そのようなやり方で目に見える成果を上げているとは僕も思いません.けれども、そもそも目に見える
実績や評価だけでピアノを学ぶに値する人間かどうかを判断することは正しいことなのでしょうか?
 

関係ないかもしれませんが、僕は動物や植物や自然が大好きで、そのあるがままの姿を見ていると
「いやー自分ってなんて取るに足らないんだろう」 と思うことがあります.これも30歳を過ぎてから
ますます強く感じるようになってきました.誤解があるといけないので念のために書きますが、
これは決して自分を卑下(ひげ)しているのではありません.でも人間だけが賢いと思って
ものを見ていると、僕みたいな単純思考は「イコール自分は偉い」と勘違いを起こすのです.
 
だから、音楽に対してもまずは自分がどのように弾くか、どのように聴かせるかを考える前に、
作品のありのままを素直に受け止めて自分自身がそこから何かを感じることに務めることが
とても大切なのではないかと思うのです.人の演奏を真似るのも良いけれど、いずれは
自分が感じられるようにならないと演奏自体に飽きてしまう.逆に言えば、自分が
感じられれば作品が要求していることもわかってくるので愉しさが持続するのです.

 

ついでに、これは余談かもしれず、別にブログに書くことでもないのかもしれませんが、
無闇に人の批判はしないほうが良いと思います.僕は仕事柄、いわゆる 「ダメ出し」を
しないといけない立場にあることが多いです.酷い日は一日10時間以上も演奏に対して文句を
つけています.でも、それは僕の仕事であり、格好よくいえば、演奏芸術を後世に伝えていくために
使命感を持って行っていることです.仕事でなければ僕は他人の演奏にケチをつけることをせずに
自己批判に徹します.僕の周りの音楽家は皆そうやって自分を律し、向上することを怠りません.
 
それから「あ~つまらない」 とか 「おもしろくない」と、なるべく考えすぎないほうが良い.
つまらないとかおもしろくないというのは、自分がそう思い込んでいるだけで、実際のところは
全くそんなことはないんです.これは自分がそれに気が付けるかどうかの問題ですが、例えば
家から学校までの通学路も、ものの見かたによっては宝の山です.それが音楽ならなおさらです.
 
そんなの綺麗ごとだと思うのなら、スマートホンを置いて外の景色をくまなく見てみてください.
ピアノを弾かずに、音を発する装置もない静かな場所で、じっと楽譜を見つめてみてください.

 

以上、終わり.(長かったー!)

 
 

近所の花とキャベツ畑.キャベツは圧巻!(東京とは思えない‥)
 
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オクラの花は午前中しか見られませんがとても綺麗です.
今朝はみんなまとめて収穫できました、めでたしめでたし.
 
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学べば学ぶほど

2ヵ月ぶりの更新です、皆さまお元気ですか.
 
僕はお蔭様で生きていますが、ここしばらくは独りでモソモソ思索に耽っていました.
まぁ半分冗談ですけどね.それにしてもこの雑多な、もとい多様で複雑化した日々の中で
頭の中を整理するというのはなかなかに難しいものです.考えすぎかもしれませんが、、汗
 

ところで4月は新学期で立て込みましたが、先月はザ・パシフィックハーバー(徳島)と
ウェスティンホテル東京にて演奏を致しました.ちなみに後者は古い友人の結婚披露宴です.
 
いずれも20年以上は弾き続けているレパートリーを含めたプログラムだったのですが‥
不思議ですね、演奏しながら 「あれ、この曲ってこんなんだったの?」 というところが
あったりして.もっともいつもそうとは限らないので先月は運が良かったのかもしれません.
 

話は変わりますが、レッスンをしていると学生たちは弾き方や捉え方がわからないと言います.
でも僕は、意地が悪いのかもしれませんが、まっとうに勉強していればそれが当たり前で、なにも
無理に答えを出す必要はないと思っています.まぁ学ぶということは新しい感覚を身につけることで
もあるので、それによって新たにわからないことが増えるという問題が起こり得る.今思い返すと
僕の20代はほとんど毎日がその連続でした.少しわかったかなと思ってレッスンに行くとまた全然
わからなくなってしまって‥あげく何がわからないのかもわからなくなったりしてしまって、、笑
 
今もわからなくなることに対して不安がないわけではありません.けれども、演奏芸術は単に知識や
答えを覚えただけではどうにもならないところもあるので、何か一つを学んだら、身体感覚として
定着するまである程度の時間をかける必要があるとは思っています.どうも今の学生はこの部分で
急いで成果を上げようとし、結果的に自らのセンスを育めずに心や身体が硬直しているようです.

それこそ10年、20年と経験を積む(もちろんピアノや音楽以外の体験も含めて)ことによって、
学んだことがすぐに活かせるケースが少しずつ増えていきます‥それでもすんなりといかない
ことは多々ありますが.また、最近の僕がそうですが、学び続けているうちにいろいろなものが
混ざり合って、なかなかいい塩梅になってくることもあります.そんな風に考えると、今の僕は
10代後半から20代にかけてわからないままバラバラになっていたさまざまな感覚ともう一度
向き合いなおす時期に来ているのかもしれませんね.つくづく奥深い世界だなと思います.

 

さて、昨日は今月末のコンサートの打ち合わせを兼ねて白寿ホールに伺いました.
 
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こちらの会場で演奏するのは初めてなので少し緊張しましたが、ピアノの選定も無事に終えられ
ホッとしました.シューベルトに合いそうなふっくらした響きの楽器に出会えて嬉しかったです.
とはいえシューベルトを演奏するのは今回がほとんど初めて.偉そうなことを書いていますね.
 
コンサートは6月27日(土)17時開演で、後半はチェリストの松波恵子先生とご一緒します.
久しぶりの東京のコンサートなので、たくさんの方に来ていただけたら嬉しいです.
 
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今年は去年よりも大ぶりのトマトに挑戦.パプリカには一時アブラムシが大量発生してしまって
毎朝筆で払うのが手間だったのですが、今朝テントウムシがきてくれたのでようやく安堵しました.
 
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ピアノときどきアンサンブルetc.

最近、ある方に現在の仕事の内容と今後の方向性について意見を伺ったところ、
「ある意味、川村さんがやっていることは結果的にベンチャーだと思うんですよ‥」
と言われ ─ その時はピンとこなかったものの今は妙に納得、そんな今日この頃です.
 

自分の気もちに正直に書くと、僕はフリーター兼フリーランスではあるけれども、
音楽をビジネスとして自身の収入や事業拡大に繋げていこうとはあまり考えていない.
そもそもそうした商業的野心が決定的に欠落している自覚だけは人一倍あるから、
業界ではチャンスとされるイベントに限って敬遠してしまう.我ながら呆れますが‥
 
でも、それがどれだけ幸せなことか、どれだけの苦労やリスクを背負うことかはさておいて、
僕はどこか生の音楽や教育をほんとうに必要としている人たちへ届けることが自分の務め
と信じていて、気が付いたら、周囲が沸き上るようなことを成し遂げる必要性や価値観を
持たないまま、ご縁でここまでやってきたのだろうと思います.念のためですが、向上心が
ないわけではありません.鍛練を怠るところに良い音楽が生まれることはあり得えないので.
 
もっともベンチャーという言葉そのものをあまりよく知らなかったというか、実をいうと
今もよくわかっていないのですが、活動内容としては確かにそうとも言えなくもない.
 
とはいえ看板がお店でないのと同じように、 「ピアニスト」 や 「指導者」 という呼称だって
ただの肩書きであって僕自身ではありませんから、別になんだっていいんだと思います、、笑

 

さて、下旬と来月の公演プログラムが決まり、目まぐるしくも今年度の最終盤にこぎ着けました.
水戸芸術館にて出演させて頂くコンサートではチェロ、バソン、ヴァイオリンのメンバーと
共にデュオやトリオ等も演奏します.ちなみにエルガーを同メンバーと4人で演奏するため、
今回初めて編曲に挑戦しました.なかなか時間が取れないので暮れから合間を縫っては書いて
いたのですが、それを今日、ようやく皆で合わせてみました.意見を出し合っていくつか修正は
したものの、自分で言うのもなんですが、なかなかどうしていい具合になりました.もちろん
実力派のメンバーに救われている感は多分にありますが、いずれにせよ本番が楽しみです.
 
メイン曲でもある有名なメンデルスゾーンのピアノトリオ第1番も実は今回が初めて.なにしろ僕は
30代前半頃までは室内楽をさせて頂く機会をほとんど持たなかったので、まぁ初めてづくしで大変
ですが、それだけに練習では興味が尽きることなくとても密度の高い時間を過ごすことができました.

 

それであらためて思い至ったのは、ピアノを弾く行為そのものはやはり手段に過ぎないということ.
こと室内楽となると、楽器としてのピアノは良くも悪くも一個の媒体でしかない ─ これはソロにも
言えることですが、弾きながらその音楽が一つの生命体のように感じられる瞬間は自分自身の
中で 「今、弾いている」 という感覚がどこかにいってしまう.下手をするとそこにある音楽以外、
自分も含めて一切がどうでもよくなってしまう.それほどに 「音楽」 の存在感が大きく感じられる
ということです.音楽のマインドが技術や知性よりいかに大切であるかをあらためて痛感しました.
 

個人的には、演奏を聴いてくださる方たちにもそういうふうに生の音楽を愉しんで欲しいし、
これからも勉強を重ねてそうした感覚を育むきっかけづくりができればと思っています.

 
 

春を感じに散歩にでも行きたいけれど、今は庭に出るのが精いっぱい.

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文化芸術による子供の育成事業@大関小学校

地元坂井市の大関小学校にて文化庁の文化芸術による子供の育成事業、
「川村文雄のお話とピアノコンサート」 を開催させて頂きました.
 
小学時代のご縁もあって、昨年から少しずつ進めていた企画ですが、
今回のお話のテーマとなった 『感動から始まり、つながる学び』 は、
これまでの先生と僕のメールのやり取りの中から生まれました.
 

「感動のないところに真の学びはない」、「感じていないものは表現できない」.
これは僕が教育に携わるようになってから、一貫して伝え続けていることです.
 
僕自身は決してピアノにまっしぐらな人生を歩んできたわけではなかったのですが、
担任の言葉を借りれば、その根っこの部分には 「日々、目にしたもの、耳にしたもの、
口にしたもの、触れたものに心を動かす ~ その心の動きにしたがって何かを始める
『自分』 を感じる‥(以下略)」 という学びの基本的な営みがあったように思います.

 

さて、下記は講演の中で僕がとりわけ子どもたちに伝えたかったこと.
当日の原稿からいくつかを抜粋してここに記しておこうと思います.

 

・小さなことでも一つのことに一生懸命に向き合う大切さ
・「新しいもの」 を取り入れつつ、古くからある 「伝統」 も重んじる
 
(原稿より)
今、僕たちはものに溢れた時代を生きていると思います。便利なものや、簡単に
答えの見つかりそうなものが次々と手に入る時代です。けれども僕は、それに
振りまわされてしまって、自分にとってほんとうに価値のあるものや、古くから
受け継がれてきたすばらしい文化が見つけにくくなったようにも感じます。
 
中略
 
ショパンは他の作曲家と違い、生涯にわたってあくまでピアノにこだわり続け、
独創的な音楽やピアノ奏法を次々と生み出しました。それは、一つの事にしっかりと
向き合い、古いものも新しいものも尊重できた彼だからこそ到達できた芸術だと思います.

 

・ものごとはおもしろいから続くのではなく、続けるからこそおもしろくなっていく
 
(原稿より)
これは、おもしろいから頑張るのではなく、頑張るからこそおもしろくなっていく
と言い換えることもできるかもしれません。もともと僕はピアノを習うことよりも、
ただ弾いて遊ぶことのほうが好きだったので、練習は嫌いでした。勉強はもっと
苦手でした。でも長く続けて行くうちに、自分の力でピアノや勉強のおもしろさに
気がつきました。それからは何事にも続けなければわからない、頑張らなければ
見つからないおもしろさがたくさんあるんだろうなと考えるようになりました。
 
中略
 
たとえばテレビやゲームはおもしろいかもしれません。ただ、ああいったものは
初めからおもしろいと思えるように作られています。僕が言いたいのはそういう
おもしろさではなく、自分でいろいろと考えたり、工夫を重ねながら見つけて行く
おもしろさ。もちろん思うようにいかなかったり、迷ったり、失敗してしまう
こともあります。それでも後で、時間が経ってから「あぁ、これか、これが
学ぶことのおもしろさか‥」と気が付ける ─ それには1年2年、5年10年かかる
かもしれません ─ けれどもそれだけ時間をかけて自分で見つけたおもしろさは
間違いなくみなさんのなかで一生のたからものになると僕は信じています。

 

・今の自分を少しでも越えること
 
実はピアノという楽器が誕生したころは、今のようにソロのコンサートが
開催されることはほとんどありませんでした。もしかするとヴァイオリンや
フルートのほうが当時のコンサートでは活躍していたかもしれません。しかし、
ピアノにはピアノ固有の可能性があると考えていた職人たちが数百年かけて
さまざまな改良を重ねた結果、ついに他の楽器にはない、つまりピアノならではの
音を引き出すことに成功しました。今はピアノは「楽器の王様と呼ばれています」。
 
中略
 
僕はある意味で、人間にも同じことが言えるのではないかと思います。周りを
見渡せば自分より輝いている、活躍しているように見える人はたくさんいますし、
僕もそういう人たちと自分を比較するとつい怖気づいてしまう。もうかれこれ
30年以上ピアノを学び続けていますが、今でも「自分にもあんな能力があったら
なぁ‥」 と人をうらやむこともあります。けれども、 「自分は今の自分を越える」 、
そのために時間をかけ、努力を惜しまなければ成長し続けることができると思います。
 
終わり
 
 

55歳のピアノはとてもデリケートで、思い出に残る経験ができました.
休憩を含め約2時間の講演に、朝から多くの方がいらして下さいました.
 
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この日はオープンスクールだったため、いくつかの授業を見学しました。
大関小学校は「道徳」が行き届いていてとても感心しました。
 
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リサイタル@三沢市

あれよあれよという間に大学・高校の公開卒業試験が終わり、
学校関連の大きなイベントは残すところ入学試験のみとなりました.
 

さて、先週末は三沢市公会堂にてリサイタルをさせて頂きました.
青森県には数年おきに呼ばれていますが、三沢市は今回が初めてです.
 
そこは思ったほどは寒くはなく、とにかく空気がしっとりしていて混じりけが無い.
行き交う人もみな穏やかで、あたたかくて気持ちがいい ─ 至るところに貼られた自分の
ポスターを除けば、 「あぁ、今日はこちらに静養しに来たのかしら‥」 と錯覚しそうなほど.
 
三沢市公会堂の小ホールは個人的にはピアノリサイタルに向いていると思いました.
コンサートではことある度に、(自身のなかの出来不出来とは別に)聴いてくださる方々が
作品にどのような感慨を抱くのか、客席から伝ってくるムードを味わったり想像しながら音楽の
「一期一会」 を噛みしめています.そして、そこに生の音楽会の醍醐味が詰まっていると感じます.
今回の演奏会では、ホールそのものが僕と聴衆との心の距離を縮めてくれていたと思います.
 

チューナーの柴崎氏とは東北のお仕事で10年来のお付き合い.また、夕方に楽屋で
頂いたサンドイッチは格別でした.こちらは公会堂の一角にある喫茶店のものだそう.
 
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演奏会翌日の午前にはホールスタッフの方に三沢市近郊を案内して頂きました.
寺山修司は独り暮らしをするようになってから影響を受けた作家の一人です、
記念館で特別に展示されている直筆の便箋は人間味に溢れていました.
八戸にある八食センター (市場) も賑やかで楽しかったです.
 
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でも一番嬉しかったのはやはりここ、後ろ髪をひかれる思いで帰京しました.
 
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三沢市の皆さん、本当に有り難うございました.
さて、明日からは福井に参ります.こちらも楽しみです.