ピアノフォルテ上大岡の夏の恒例行事、エキスパートレッスン受講生による発表会とリサイタルを終えました.今日もまだ疲れを引きずっていて、滞っているメールのお返事も書けていないのですが、とりあえず昨日までの準備期間と昨日と今日で考えたことを綴っておこうと思います.
まず、僕個人の問題ですが、人前で弾く怖さがこの歳になってもなくならないというか、むしろ増してきていることを実感しています.主な理由としては、先ず若い頃に比べて落ち着いてさらえる時間が激減したことが挙げられます.まぁそれは大人になれば皆同じなのでどうにかやりくりをしなければならないところではありますが、僕の場合、普段からそれまで取り上げてこなかったジャンルやレパートリーを開拓し、さらに新しい奏法を取り入れながら理想とする演奏のハードルを自ら上げているところがあるので、演奏会の間際まで、下手をするとコンサート当日に弾きながらあちこち折り合いをつけるのに四苦八苦していることが時どきあります.もちろん好きでそうしているというよりは、そうすることが今の自分に必要だと思っているからなのですが‥
ちなみに、僕はいわゆる緊張しないタイプに見られることがあるのですが、それはとんでもないことです.まぁ緊張にも良い緊張とか悪い緊張とかいろいろあるのですが‥いずれにせよ、自分が「ピアノ弾くの大好き!」と無邪気に言っていられたのは果たしていつ頃までの話だったか.あまりに遠い昔のことでもう忘れてしまいました、、笑
話を戻すと、昨日は生徒たちと僕が同じ日に同じステージに立つという貴重な機会でもありました.もちろん発表会では生徒たちの緊張がこちらに伝わってきましたし、逆に、リサイタルでは僕の緊張が彼らに伝わったことと思います.
それで昨晩、自宅で飲み直した後に、なんというか、柄にもなく自分の演奏を振り返りながらもう酷く落ち込んでしまって ─ というかまったく落ち込まないほうが逆にマズいのか? ─ こういうことがある度に 「本番当日に人前で弾く怖さや、 (何日も前から悩まされる) 不定愁訴から少しでも解放されたら、どんなに幸せか」 と想像はしてみるのですが、夜な夜な考えれば考えるほど、「やはりこの 『恐怖』 というものに真正面から向き合うことに意義がある」 そんな結論に至ります.いや、これでは適当に書いているように思われてしまいますね‥でも、やっぱり人間ってどうしてもラクなほうに流されやすいところがあると思うし、そもそも自分の中に恐怖があるということはまだそれだけ未熟であるか、心が弱い証拠でもあるわけですし.
というわけで、僕もいよいよいい年齢になってきましたし(←ほぼ口癖)、いわゆる若い人たちの怖いもの知らずではなく、怖さそのものを受け止めつつ、もっと鍛練を重ねて音楽的にも人間的にも成長しようと心に誓いました.いずれ、いつになるかわかりませんが、それが何らかの形で教え子たちにも伝わったらいいなぁと思います.
次は2週間後の白寿ホールでお会いしましょう!
このシリアスな投稿に、あえて流れに逆らう感じのコメントをしてしまうのが天邪鬼な私の性格。
なんだか芥川龍之介がたどった足跡を追っかけているような気がして。克己主義を「克服」することもまた、肥大化した「自意識」に苛まれた我々現代人の悩ましい課題で。。地中海に出掛けるたびに、「極限」を追究し続ける先に、我々が求める「幸せ」はあるのだろうか?と自問自答しています。
的外れなコメントでした。(^_^;)
こんばんは。
昨日はお疲れさまでした。
「怖さ」「恐怖」「落ち込んで・・・」
エントリーの中の言葉から何か思うところがあったのかなと感じさせます。
あるサッカー選手は「自分は失敗するし、いつも失敗すると思ってやっている。だから失敗しても怖くない。でも次失敗しないように練習してる」
あるピアニストは「上手くいかなくたっていいじゃない、人間だもの」
私事で恐縮ですが、私は先月の発表会で失敗をしました。
ブログにも書きましたがこんなことは今までの発表会でも初めてで、正直かなりショックでした。ご飯が美味しいと思えないほど落ち込んで。
でも本当に最近出会えた言葉に心が救われたというか、腑に落ちたことがありました。
「気張るなよ、さらっとやって胸を打て」
あー私、気張り過ぎていたんだなぁって、ようやく気付かされました。
私が人前で弾くのと川村さんのそれとは質がまったくちがうと思いますが、今日のエントリーを読んで思ったことです。
自分のことばかりでスミマセン。
来月、川村さんと川村さんのピアノに出会えることを楽しみに待っています!アヤ
でも…本当に怖いのは”地震”などの自然災害かもしれませんね。。
関東大震災が起きてから、周期的に考えると、関東にいつ地震がやってきてもおかしくないそうです。
先生の恐怖?など、悩んでられてかえってラッキーちゃんかもしれませんね。。
なまけものさん
僕は地中海(エーゲ海?)には足を運んだことはありませんが、清閑なお寺に行くと同じような感慨を抱くことがあります.それこそ天邪鬼かもしれませんが、出家したり厳しい修行を積んで悟りを開かんとするその行いは、或いは見方を変えれば 「煩悩」 それ自体ではないかと.
自意識の肥大はおそらく別のテーマとして扱うべきかもしれませんが、いずれにせよ、僕たちは人間ならではの業や欲望から完全に逃れることはできません.だからといって、開き直って快楽に溺れたり、困難から目を背けても、なまけものさんのいう所の 「幸せ」 は得られないとも感じます.
まぁ確かに難しい問題ですね‥しばらくご無沙汰していますが今度一献傾けながらゆっくり語りましょう!
Ayaさん
そうだったのですね、ご飯が美味しいと思えないなんて重症じゃないですか.もう今は平気ですか?
「気張るなよ‥」 は僕にも当てはまります.つい物事を大袈裟に考えてしまうところがあって‥いや、誤解があるといけないので、コンサートはこれでも毎回命懸けです.生徒には「気楽に弾こうね~」 なんて言ってますが、自分に対してそんな大それた言葉はかけられません.ただ、そもそも気張るということが恐怖心から来ているように感じたので.
そうそう、今日読み直していた産経新聞の記事の中の内田光子さんの言葉です.まさにピアニストの心境をよく表していると思いました.
『難しいなんてものじゃないです。たったひとつの旋律でも、ピアノで演奏するのは世界で一番難しいことだと私は思っています。舞台に出て、お客さまの前で最初から最後まで演奏し通すなんて、それだけで死にそうになります。』 【話の肖像画】産経新聞(2015年10月)より
内田光子氏ですらそうなので、到底僕にもさらっとはいきません、、笑
来月は久しぶりにお会いできることを楽しみにしています!
ちゃまさん
有り難うございます.おっしゃるとおりです!音楽のことでこんなに悩むことができるなんて、自分はなんて幸運な人間なのかしら‥と思わなくちゃいけませんね(^_^;
ご多忙中にもかかわらず、投稿有難うございます!
大変共感致しますし、励まされました。
今後も一歩一歩 ゆっくり 無理をせず学んでゆきたいと思います。
来月のコンサートを楽しみにしています!
川村さん。
ありがとうございます。
今は美味しくご飯を食べています^^
ピアノも色々あっても嫌いになったことは1度もないんですよ。
普段は仕事の都合でなかなかたっぷりと弾くことは出来ませんが、それでも毎日丁寧に練習を重ねています。
私も川村さんに会えるのを楽しみにしています^^アヤ
いいねぇ!!身のある対話になりそう!!「饗宴」、期待しています(^_^)
でも…先生は、
外では仕事が忙しく、
ウチでは”キュウ””キュルル〜””ゴゴッ””バンバン”…そして、
恐怖と戦いながらのハイレベルな練習。
ステージ上では死ぬ思い…あぁかわいそうに。。
それが出来るように、
しっかり食べて、同じくらいゆっくり休んで、
無理しないようにして頑張ってくださいね。
今度は、白寿ホールを楽しみにしています♪!
M.Sさん
また次回の演奏も楽しみにしています!
Ayaさん
嫌いにならないって案外とても大切なことなんじゃないかと思います.そのためにはものごとを冷静に受け止めたり一歩引いて自分を客観することが不可欠ですから‥これからもゆっくり、地道に頑張ってください.
なまけものさん
こちらこそ、楽しみにしています.
ちゃまさん
有り難うございます、ちゃまさんもマイペースで頑張ってくださいね!