実に1年半ぶりにステージに立ちました。
ここに至るまで本当に長い道のりでした ― ふり返ろうにも種々の想いが交錯してうまく言葉にならない ― もっとも、以前の僕なら今日のパフォーマンスは反省が先にきてしまう内容だったかもしれません。けれども今夜ばかりは自己自身を労いたいと思います。
ところで、近頃はなおざりにされているとしか思えない日本語。その語感と言葉の先に開かれているまばゆいばかりの情景。三善達治も語っているように詩の世界は基本的には孤独な心で読むべきものです。各自がめいめいに、その感興にしたがって独り合点する喜びこそが詩という文芸の醍醐味と言えます。
一方、楽(がく)が加わることにより詩(うた)は躍動し外に解き放たれます。無論、音楽の人の心に訴えかけるエナジーは凄まじく、喜怒哀楽にくわえ、憧れ、郷愁、畏敬の念などさまざまな感情が同時多発的に喚起されます。これが歌曲の魅力だと僕は思っています。
どちらかというと敬遠してきた日本歌曲でしたが、あらためて、内なるものを表現する悦び、ひいては生きる歓びをふたたび手にしたような、そんな気もちになれました。
新たな一歩を踏み出すきっかけを与えてくれた共演者、そしてここまで応援してくださった皆さまにこの場を借りて御礼を申し上げます。
写真の説明
昨年(2020年)撮影をした中秋の名月です。
⭐️こんばんは⭐️
1年半ぶりにステージに立てたとのこと、良かったですね!
お疲れさまでした。。
表現する悦び、生きる歓びをふたたび手にしたような…やっぱ音楽の力ってすごいですよね!
私自身も素晴らしい演奏会とかの帰り道は興奮してしまって、、
写真のお月様も立派です。
何と云う吉報でしょう。その胸の思い、万感とはこのことですね。うれしく喝采を禁じ得ません。と少々オーヴァーでしょうか。
しかし、人生の艱難辛苦を超えることが誰もに訪れる訳であり、そして真摯で誠実で純粋であればあるほど、その波が人よりも何故にも大きくやって来る。しかし、音楽の深みと歓びはそれを超える時に何倍にも大きくなるということを、きれいごとですが、そう思わずにはおれません。
私の音楽への深まりも拙くも声楽の伴奏と共にあったので、川村さんのその舞台を目の当たりにしたかった。本当に新しい拡がりの道を持たれ、よかったですね。
お月様は心の反映。どこのどんな国でもそうなのでしょう。ありふれた知見ですが、ルサルカの妖精伝説の名歌がすぐに浮かびました。むかしこの伴奏も詩の原語の響きも何も解らなかった距離感をやっとスラヴ語に通じて埋められています。ドヴォジャークが何を込めたのか、ただの恋愛詩ではないようにも思われる。音楽をする人徳の「資格というもの」が有ると私は思っていて、それは自分を見つめられる(省察し得る)人なのだとずっと思っています。それが川村さんのモノローグにはいつでも籠っていた。当初からずっと。どんな対峙もお大切に、小さくとも悦んで、また郷里の自然やご家族を誇りに歩まれて行ってください。あなたこそは自称演奏家である以前に導ける資格者たる方なのだから。。。ご報告発信、真にうれしいことです!(長々失礼しました)
こんばんは!
エントリー読みました。
川村さん、良かったですね!
ステージで演奏出来たのですね。
なんだか自分のことのように嬉しい気持ちでコメントを書いています。
大学院の修了演奏発表だったのですね。
もうそんな時期なんだなぁ・・・と思いました。
サイトを見ましたが、感染対策から関係者のみの会だったそうですね。
早く新型コロナウイルスが終息して、また川村さんの心温まるピアノの演奏が聴きたいです!
どうぞお身体大切にこれからもご活躍下さい!
川村さん、本当に良かったですネ!
写真の満月が川村さんの笑顔に見えました^^アヤ
川村先生、舞台に立たれたのですね。
ホッと致しました。
本当、良かったです✨✨✨
私は今、両親の介護を始めて、あまり練習出来ない日々ですが、先生のブログを読んで、勇気を頂きました。
生きていると、そういう歳月もあるのですね。
でも、わずかな時間でも、ピアノと向きあえる時間があり、そういう時、ピアノを弾いていると幸せを感じます。