昨日、故郷の「ふくい桜マラソン2025」を走りました。僕にとっては5度目のフルマラソンで、一つの節目となるレースでもありました。
今月は新型コロナの罹患と足の怪我で ― 誤解のないように、ランニング特有の負傷ではありません ― やや不安を残しながらのスタートでしたが、結果的には自己ベストを更新することができました。
けれどもそれ以上に嬉しかったのは、ロードレースとして今回はじめて「自分らしい走り」を実感できたことです。コロコロ変わる空模様や周囲に流されることなく、踏み鳴らされる音とリズムにふかく集中し、静けさに包まれながらフィニッシュしました。そして、これでよかったんだと心から思えました。
また、「目標」と「目的」が、似て非なるものであることも再認識できました。目標とは、いわゆる数字や結果のように「外からも見えるもの」。それに対し目的は、そもそも「自分がどう在りたいか」という自己の内側に宿るものです。今回のロードレースでは、その目的を見つめる機会をいただけました。
2年前のブログ『失聴から僕が学んだこと』にも書いたように、僕は「いかなる時も自分自身であることを尊重することの大切さ」を強く感じながらも、それまでの聴こえを失ってなお音楽を続けていく中で、周りの期待や世間の価値観に飲み込まれそうになったことも度々あったと思います。
最終的に、「ほんとうに大切にしたいものは何か」、「何をほんとうの喜びと感じるのか」を自身に問うところから、再び音楽と向き合うための土台を作り直しました。そして本来の自分に立ち返り、自分軸を構築するプロセスに貢献したものがランニングだと思っています。なぜなら、無心で走っているときは心が解放され、初めてオルガンやピアノに触れたころの無邪気な感覚や純粋な喜びを思い出すことができるからです。
そしてもうひとつ、今回のふくい桜マラソンを無事完走できた背景には、互いに励ましあえる仲間たちの存在があります。山岳レースだけでなく、ロードレースにおいても、日ごろ自分に甘くなりそうな瞬間にふと支えていただき、鼓舞されてきました。このような経験の積み重ねが、走ることを単なる運動以上のものに変え、内的成長に繋げてくれました。
これらを音楽に置き換えてみると ― ピアノの道を志ざすのなら、楽器を扱うスキルや感性だけでなく、外的評価軸も時に必要と前置きしたうえで ― もっとも大切なことは、あらゆる可能性にひらかれた心を持つことではないかと考えています。少なくとも、今の僕はそのように結論づけています。
走ること、音楽に向き合うこと、誰かとわずかな言葉を交わすこと。これからも日々起こる出来事の一つひとつに心をかたむけながら、自分自身であることを続けていこうと思います。
最後に、いつもあたたかく見守ってくださる皆さまに心より感謝申し上げます。来年度も引き続きどうぞよろしくお願いいたします。