毎年、ではないけれど、節分の時期になると思い出す物語があります。『泣いた赤鬼(ないたあかおに)』です。
この話に登場する青鬼は、人間と仲よくなりたいというちょっと変わった赤鬼にのために ― この件もなかなか興味深いのですが ― 裏方に回り、その役割を果たしたのちに姿を消します。小学生の頃、この青鬼にシンパシーを感じたというか、強く共感して「自分も青鬼のようになりたい」と思っていました。そして今もどこかその価値観が自分の中で根付いていることに気づかされることがあります。
たとえば後輩に「仕事」を譲ることが多くなったこと。あるいは、少々センシティブですが、生徒たちには僕に師事していることをあえて表に出さなくてもいいと伝えることもあります。要するに、「自分がいないことで丸く収まったり、誰かが幸せになるならそれでいい」と考えて行動しているということです。
ちなみにこれは、『泣いた赤鬼』についてしばしば語られる「自己犠牲」の精神とはすこし異なると思っています。物語の中の青鬼がどうだったかは知る由もありませんが、他者が僕から良い意味で離れて自身の足で前に進むこと。そして他者の幸せを願うほど、そのための余白のような存在でありたいと考えているのだと思います。
けれども時々、ふと感じることがあります。
『泣いた赤鬼』の終盤、青鬼のはからいによって人間と仲よくなった赤鬼は、青鬼が去ったことを知りふかく悲しみます。青鬼は赤鬼の幸せを願って身を引いたわけですが、赤鬼にとっては彼(青鬼)に会えなくなったことは望ましいことではなかった ― まぁ、それはもっともだと思いますが ― ここの読みはむつかしいところです。もしかすると一般的に思われるより、やや複雑な関係性がこの二人の鬼の間にはあったのかもしれません。
ただ、歓びのある道でも触れた「人生の途上において大きな決断を迫られた時には、寂しさを理由にしないこと」をおそらく実践した点において、僕が青鬼の生き方に強い感銘を覚えていることは間違いありません。それならばいっそ「消えていなくなってしまったほうがいいのか?」と思うこともないわけではありませんが、この問いには、まだ答えが出ていません。
しいて言えば、どこか身を引きながらも、見守り続けるという形で大切な友や仲間を支えたり、鼓舞することは可能だと思っています ― ひょっとすると、もし青鬼がSNSを使えていたとしたら、少なくとも「ここにいる」というメッセージを赤鬼に伝えることができたかもしれませんね ― そんなふうに間接的な形で誰かの支えになることができるのであれば、それもまた私たちにとっての一つの存在のあり方なのではないかと今の僕は考えています。
ところで『泣いた赤鬼』の原作は1933年ですから、100年近くも前だというのがなんとも驚きですが、このお話は陰ながらも他者の心の支えとなり得るうつくしい物語であるばかりでなく、さまざまな生き方を認め合う現代社会における精神的・質的つながりのあり方に一石を投じているようにも感じられます。
そう考えると、僕がこうしてブログを続けることにも何がしかの意味はあるのかもしれませんし、僕らしく生きるためにもすこし、それに寄りかかっていいのかなと ― 白状するとお返事を返せていないメールやお手紙が山ほどあって後ろめたさを抱えつつSNSを使っている ― 相変わらずひとりでひっそり過ごすことが大好きなので(実は青鬼も、案外楽しく暮らしているのかも‥!)、これからも心の向くままに「ここにいる」というメッセージを発信しながら誰かの支えであり続けられたらと思います。
参考
浜田廣介著 『ないたあかおに』.偕成社
川村文雄 『喜びのある道』 過去ブログ